今日、5月3日は
憲法記念日
で、日本国の定めに因ると
日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。
事を、願い、誓う日、です。
それを示す内閣府のHP です。
https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html
日本国は、かつての大きな過ちの
戦争への行動を、反省して
1945年(昭和20年)に、
日本国憲法を制定し、
日本国内と世界に向かって
恒久平和主義を、誓いました。
1943年(昭和18年)生まれの私は
京都市内で生まれ、
幼年期から
戦後日本の様相を、目撃
して、育ちました。
悲しい、辛い事に、
今も、世界のあちらこちらで、
人命と、人の生活を奪い、軽視する
行動が、権力者とそれに従う人々に因って、
悲しい、辛い事態が、繰り替えされてマス。
齢い82歳の私は
これからの若い世代の人々が、
どういう世界・日本の情勢を、背負って生きるのか・・・?!
心配、懸念、心配しています。
これからの時代、
政治情勢を背負うのは
若い世代の、人々です。
高校生平和大使・高校生一万人署名活動実行委員会のHP です。
https://www.peacefulworld10000.com/
これからの日本と国際情勢を背負うのは
若い世代の方々、です。
日本の政治家諸氏・世界の権力者諸氏、
この地球に無垢の赤ちゃんとして、
生を享けた有難さに
感謝して、
平和な国。平和な国際情勢を
保ち、実現されるよう
切に、切に、要求し、御願い申し上げます。m(__)m
※ このブログで、
平和への行動に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=9130103a3848672d35dc38645f1f7c5919f1c01f&search=%E5%B9%B3%E5%92%8C#google_vignette
憲法記念日
で、日本国の定めに因ると
日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。
事を、願い、誓う日、です。
それを示す内閣府のHP です。
https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html
日本国は、かつての大きな過ちの
戦争への行動を、反省して
1945年(昭和20年)に、
日本国憲法を制定し、
日本国内と世界に向かって
恒久平和主義を、誓いました。
1943年(昭和18年)生まれの私は
京都市内で生まれ、
幼年期から
戦後日本の様相を、目撃

悲しい、辛い事に、
今も、世界のあちらこちらで、
人命と、人の生活を奪い、軽視する
行動が、権力者とそれに従う人々に因って、
悲しい、辛い事態が、繰り替えされてマス。
齢い82歳の私は
これからの若い世代の人々が、
どういう世界・日本の情勢を、背負って生きるのか・・・?!
心配、懸念、心配しています。
これからの時代、
政治情勢を背負うのは
若い世代の、人々です。
高校生平和大使・高校生一万人署名活動実行委員会のHP です。
https://www.peacefulworld10000.com/
これからの日本と国際情勢を背負うのは
若い世代の方々、です。
日本の政治家諸氏・世界の権力者諸氏、
この地球に無垢の赤ちゃんとして、
生を享けた有難さに
感謝して、
平和な国。平和な国際情勢を
保ち、実現されるよう
切に、切に、要求し、御願い申し上げます。m(__)m
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ネット・ニュースで、知りました。
104歳の元陸軍兵、
地獄の戦場で
「命も感情も失った」…姉の死に涙も出ず
の記事です。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221021-OYT1T50187/
太平洋戦争の激戦地だった
東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で
終戦を迎えた現在104歳の元陸軍兵士が、
新型コロナウイルス禍で中断していた
体験を語る取り組みを
再開させられたと言う事です。
長崎県長与町の中野 清香きよか さん。
戦友会で自分以外は全員鬼籍に入った。
ロシアによるウクライナ侵略での攻撃が激化する中、
「命だけでなく、人間の感情も奪う戦争の悲惨さを伝えたい」
との思いを強くされた。
自宅で東部ニューギニアの地図を見る中野さん
16日、市民団体が企画したオンライン講話で、
中野さんは自宅から、全国各地で視聴する
約40人に向けて体験を語り始めた。
1944年夏、
日本軍がニューギニア島の米豪連合軍を攻撃し、
大敗を喫した「アイタペ作戦」。
食糧も弾薬も尽き、
犠牲者は約8000人に上ったとされています。
毛虫やイナゴ、カニを生で食べて下痢を繰り返し、
栄養失調の戦友が次々と倒れた。
苦しさに耐えきれずに自殺する人もいた。
倒れた兵士を助け起こす者は誰もいない。
中野さんは逃げ込んだ小屋でウジ虫のわいた日本兵の遺体と一晩をともにした。
「死臭も何も感じなくなり、『かわいそう』などの喜怒哀楽もなくなっていた」。
と、画面の向こうの人たちに、震える声で明かされました。
終戦を迎えた1945年(昭和20年)、
私は、2歳の赤子でした。
もし、私が、もう少し早く生まれていたら、
私も、徴兵されて、
戦死、若しくは、人間としての感覚を
奪われて、生と死の狭間を
生きてかも知れない!
今も、人間の社会では、
不当な戦乱や、
人権侵害が行われています。
戦争体験の無い私、
不十分私の認識ですが、
どうか、元陸軍兵士さんの回顧を
このブログで、アップあせて下さい。m(__)m
※ このブログで、
戦争体験、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=1d7881eef188faa8d2b54dbd2b7b8209ffbc0a89&search=%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93
104歳の元陸軍兵、
地獄の戦場で
「命も感情も失った」…姉の死に涙も出ず
の記事です。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221021-OYT1T50187/
太平洋戦争の激戦地だった
東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で
終戦を迎えた現在104歳の元陸軍兵士が、
新型コロナウイルス禍で中断していた
体験を語る取り組みを
再開させられたと言う事です。
長崎県長与町の中野 清香きよか さん。
戦友会で自分以外は全員鬼籍に入った。
ロシアによるウクライナ侵略での攻撃が激化する中、
「命だけでなく、人間の感情も奪う戦争の悲惨さを伝えたい」
との思いを強くされた。
自宅で東部ニューギニアの地図を見る中野さん
16日、市民団体が企画したオンライン講話で、
中野さんは自宅から、全国各地で視聴する
約40人に向けて体験を語り始めた。
1944年夏、
日本軍がニューギニア島の米豪連合軍を攻撃し、
大敗を喫した「アイタペ作戦」。
食糧も弾薬も尽き、
犠牲者は約8000人に上ったとされています。
毛虫やイナゴ、カニを生で食べて下痢を繰り返し、
栄養失調の戦友が次々と倒れた。
苦しさに耐えきれずに自殺する人もいた。
倒れた兵士を助け起こす者は誰もいない。
中野さんは逃げ込んだ小屋でウジ虫のわいた日本兵の遺体と一晩をともにした。
「死臭も何も感じなくなり、『かわいそう』などの喜怒哀楽もなくなっていた」。
と、画面の向こうの人たちに、震える声で明かされました。
終戦を迎えた1945年(昭和20年)、
私は、2歳の赤子でした。
もし、私が、もう少し早く生まれていたら、
私も、徴兵されて、
戦死、若しくは、人間としての感覚を
奪われて、生と死の狭間を
生きてかも知れない!
今も、人間の社会では、
不当な戦乱や、
人権侵害が行われています。
戦争体験の無い私、
不十分私の認識ですが、
どうか、元陸軍兵士さんの回顧を
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今日、6月23日は、
沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1342620.html
まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
このブログでも、
アップさせて下さい。
中学生の少女の詩、
菅首相の言葉、等についても
次号以下
このブログでも、紹介させて
頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
戦後学んだ、
日本国憲法の精神・・・
そして、以前、ブログ仲間さんと
沖縄を訪ねた時の思い出が
今も、鮮明に、よみがえります
。
※ このブログで、
沖縄、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E6%B2%96%E7%B8%84
※ このブログで、
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沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1342620.html
まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
このブログでも、
アップさせて下さい。
中学生の少女の詩、
菅首相の言葉、等についても
次号以下
このブログでも、紹介させて
頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
戦後学んだ、
日本国憲法の精神・・・
そして、以前、ブログ仲間さんと
沖縄を訪ねた時の思い出が
今も、鮮明に、よみがえります

※ このブログで、
沖縄、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E6%B2%96%E7%B8%84
※ このブログで、
平和主義、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
昨日、90歳の男性と、
お話しする機会がありました。
昭和5年生まれ、私より13歳年上で、
戦争体験や被爆体験を、
しっかり覚えてられますが、
耳が遠くなってしまって、
とぼやいておられました。
に、触発されて、戦争体験の記憶が無い
終戦時2歳の赤子の私、勉強したく
ネット検索しました
。
NHK戦争証言アーカイブス です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001240086_00000
人生の先輩が、戦争体験を
語っておられます。
子どもたちや若い人、
戦後生まれの方も、
ご参考にして頂きたく
upする次第です。m(__)m
お話しする機会がありました。
昭和5年生まれ、私より13歳年上で、
戦争体験や被爆体験を、
しっかり覚えてられますが、
耳が遠くなってしまって、
とぼやいておられました。
に、触発されて、戦争体験の記憶が無い
終戦時2歳の赤子の私、勉強したく
ネット検索しました

NHK戦争証言アーカイブス です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001240086_00000
人生の先輩が、戦争体験を
語っておられます。
子どもたちや若い人、
戦後生まれの方も、
ご参考にして頂きたく
upする次第です。m(__)m
戦後74年、
沖縄で戦没者追悼慰霊祭が23・24日に
行われました。
NHKの動画 です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190623/k10011965531000.html
2019/06/23 13:01
小学生少女の思いに心打たれ、
沖縄県知事の無念の思い、
来賓安倍首相の挨拶・・・
感動し、また、様々な思いも、しつつ見ました。
詩を朗読した少女は
戦争体験を知らない世代も、
戦争体験を語り継ぐ事の大切さを訴えました。
改めて、
~~少女の詩、全文です。~~
平和の詩「本当の幸せ」
炎で包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地はどんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄み渡る空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え
町が消え
希望の光を失った島
体が震え
心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が74年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲惨さを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島が
この国が
この世界が幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが 本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
沖縄で戦没者追悼慰霊祭が23・24日に
行われました。
それについての
FNNの動画 です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190623/k10011965531000.html
2019/06/23 13:01
小学生少女の思いに心打たれ、
沖縄県知事の無念の思い、
来賓安倍首相の挨拶・・・
感動し、また、様々な思いも、しつつ見ました。
詩を朗読した少女は
戦争体験を知らない世代も、
戦争体験を語り継ぐ事の大切さを訴えました。
改めて、
~~少女の詩、全文です。~~
平和の詩「本当の幸せ」
命(ぬち)どう宝、命こそが宝
青くきれいな海
この海は どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ 炎で包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地はどんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄み渡る空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え
町が消え
希望の光を失った島
体が震え
心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が74年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲惨さを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島が
この国が
この世界が幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが 本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも
74年前は、2歳の赤ちゃんでした。
私も、勉強したく、upします。
ヤフー未来へ残す戦争の記憶 です。
https://wararchive.yahoo.co.jp/
今、しきりと、為政者の専横が報じられています。
日本の未来をどう築いてゆくのか・・・?!
ともすれば、目先の事に追われて、
政治への無関心、選挙投票の棄権に
走りがちな人も含めて
日本の未来への関心を、
少女からも学びたく、
upしたい、したい
74年前には赤子だった私の願いです。m(__)m
https://wararchive.yahoo.co.jp/
今、しきりと、為政者の専横が報じられています。
日本の未来をどう築いてゆくのか・・・?!
ともすれば、目先の事に追われて、
政治への無関心、選挙投票の棄権に
走りがちな人も含めて
日本の未来への関心を、
少女からも学びたく、
upしたい、したい
74年前には赤子だった私の願いです。m(__)m