このところ、NHK朝の連続小説ドラマ“おひさま”は切ない場面が続いています!



  “おひさま”     
             当たり前の幸せへの渇望! 
 



NHK朝の連続ドラマ“おひさま”
     切ない場面が続いています。

父親が出征したため、働き手を失い、
  貧窮の極、空腹に苦しみ
  同級生の弁当を盗み食いする生徒!
 
 



海軍飛行予科練習生、出撃を前に、家族に秘かに別れを告げに
来た陽子の兄の茂樹
若い身空で、あらゆる未来を断ちきって
  愛する家族を守ることになる、と信じて
      生きて還るあてのない出撃を前に
          別れを告げている! 



我が身に置き換えて、
昭和18年生まれ、
戦後、空腹に苦しんだ少年時代
昼の給食まで胃袋を癒す糧もなく、
  寒さに凍えて肩すくめて登校した朝が何度も。
それでも、給食まで待てば、食べ物にありつけた!
級友の弁当に手を出す子の気持ちの
    葛藤は、どんなものだったろう!



そして、
あらゆる未来を断ちきって、
還るあてのない出撃を前に、葛藤する茂樹、
割り切ろうと努力して、自分に言い聞かせて、
  それでも、生きて幸せを掴みたいと願う茂樹、
昭和18年生まれの私には、
  彼の葛藤は、完全には分からない。
だけど、家族や友人・知人、
  人間として当たり前の幸せへの未練を
断ちきるのは、本当に、大変なことだったろう!



“おひさま”、ぜひ、必見!
当時の人々の思いを感じて、
ともすれば、飽食・平和が当たり前の
  現代日本に、警鐘を鳴らしている!
  

Posted by 夢想花 at 03:43Comments(0)名もなき孤老の訴え
  他のサイトのマイフレンドさんの日記に載っていました。交通安全、私のブログ読者にもご紹介させて下さいとお願いしたら、快く、ご承諾して下さいました。感謝! ですface08


  10月の給食会でのお巡りさんのお話、ということです。


横断歩道の渡り方『まみむめも』

ま 待つ
・・・信号が変わりかけていたら急いで渡らず一待つ。

み 見る
・・・右、左、右、もう一つ後方も見る。

む 無理をしない
・・・待つ、と同じく焦らないで。

め 目立つ服装
・・・夕暮れが事故にあいやすい。白とか黄色の目立つ色の服装がよい。赤は吸収されるので芳しくない


も もしかして
・・・自分は事故にあわないと思い込まない。 


  ★~~~ 夕方外に出るときは車から見えにくいので目立つように腕や足に反射するものを身につけるといいとか。腕にまく反射板をもらったので夕方出るときは身につけよう。 ~~~★



  マイフレさんは、 出来るだけ明るいうちに用事を済ませて夕方は出ないことが一番だなと思った、と記されています。

  夢想花、車を運手していて、特に、夕暮れ時は、人の姿が見えにくい!!! 特に、黒っぽい服装のお方が、突然、道を横切られると、ドキっとします。安全運転はもちろんですが、安全細心注意歩行、そして安全細心注意自転車運転も、肝要です。


   不注意1秒、怪我一生!
  怪我で済まずに、命に関わるような事故を招いたら、もっと、悲惨・悲劇です。
  お互いに、気をつけましょう!!!
  

Posted by 夢想花 at 06:10Comments(2)生きる
  どうにも、分からない事案! 県教育委員会も徹底真相解明を!icon08icon10icon10


     理解不能! 真相究明を!


  滋賀県の養護学校で、教師4人が男子生徒に対して、給食に一味唐辛子をふりかけたことやペンチで脅すような発言など一連の行為について虐待と判断され、停職1ヶ月の処分を喰ったことに対して「処分は重すぎる」と人事委員会への不服申し立てを検討していること、その内の一人が、7月21日、滋賀県庁で記者会見しました。組合も、それを支援しているという。


  「悪意はない。生徒の心を開こうとした行為」と主張しているようですが、報道の通りの行為だとすると、普通そんなことやる? というような行為。



  およそ、イジメや虐待は、冗談やがな、相手と親しいからや、とか、相手のためを思って、とか、加害側は主張する。だけど、それは加害側の一方的な思い込みで、加害側から被害側への一方通行的行為であることが多い! 


  被害側が反撃できないことをイイことに、加害側の一方的な思いで、イヤな行為を繰り返す。。。。。これは、十分、人権侵害、場合によっては犯罪行為と取られかねない行為ではないだろうか?


  翻って、加害側の主張通りに、一定の正当性があるとするならば、県教育委員会および司直の手によって、また、加害側も反証の準備をして、裁判なりで争うのが至当だろう!


  その結果、加害側の主張通りか、そうでないのか、そうでないなら、処分が重い、妥当、軽い、も、生徒の立場・人権、これ以上の二次的被害のないように配慮しつつ、調査・公開して、県民の審判を受けたらいい!



  現時点で、私が、思っていること・・・普通、大人同士で、そんなことせんやろう! 常識も、感性も備わっている大人、それも教師がそんなことする?  まして、多くの人の手が関わって作って下さった一味唐辛子を、面白半分に、本来の用途以外に、教師が粗末に扱うなんて・・・! それも、生徒に見せつけるなんて・・・! 理解困難! 


  権利意識のみが肥大して、組合も、それをたしなめず、社会常識や正義よりも組合員の利益擁護ばかりに走る体質! そんなことだから、組合離れが進み、組合の加入率が減っていくのかも・・・?
  学校の組織も、平素の人間関係が優先して、耳の痛い意見を出し合わない・・・そんな体質が、あるのではないか?!



・・・社会通念や社会正義ありきの学校ありき、まず人間尊重の学校ありきだろう? あまりも常識から外れた学校が、どういう教育を子どもたちにしていくのだろう?・・・


  どっちにしても、事実関係を明確にして、処分の重さを判定すればいい! 再発防止、人権感覚の涵養を学校現場に強く望みたい! 学校現場が淀んで、非常識な風土が生まれないように、人事の交流を! 転勤ほど、有効な職場研修はない! 教師も、完成された存在ではない! 人間として、成長する提起と捉えて、成長がより豊かな教育活動への一歩になると受け止めて、ここは、じっくり考えて行動を!    
  

Posted by 夢想花 at 00:46Comments(2)名もなき孤老の訴え
  昨夕、テレビで、子どもの貧困が報じられていました。息を呑みました。


子どもの貧困・・・
   この子らになんの罪がある?



この子らになんの罪がある?
この子らになんの責めがある?


昭和20年代、戦後の極度の混乱下
食べるものもなく
空腹に苦しみ
栄養失調で病気になり
医者にもかかれず、
命落とす子どもたちがいた、人がいた


だが、その時は
国全体・社会全体が貧しくて
お互いに、困苦を癒し、
助け合う風潮が、街に充ち満ちていた
親は、大人は
子どもたちにひもじい思いをさせたくない一心で
懸命に働き、はたらき、働いて
この豊かな日本を造ってきた!


だが今は、
平成のこの世でも
この世界でも有数の経済大国日本での
信じられない“飢餓”がある!!!
昼の給食まで、何も食べるものもなく、
飢えの苦しさに、保健室に駆け込む子ども
学用品も買えず
医者にもかかれず
貧困のあおりを受けて
街にさまよう子どもたち


だが今は、平成のこの世では
街にネオンがきらびやかに輝き
享楽にうつつを抜かす人たちには
子どもたちの貧困は届かない!!
子どもたちの辛さ、悲しみに無縁のような
モノの氾濫、浪費、享楽の群れ!


この子らになんの罪がある?
この子らになんの責めがある?
罪を負うべきは誰?
責められるべきは誰だ?
私を含め、責められるべきは誰なのか?!
そして、
そして、
子どもの流浪を放置して、その果てに
次に、誰が、流浪を余儀なくされるのか?!



※ 「脱日本の子どもの貧困、子どもハッピイ化計画」のアドレスです。ぜひ、クリックして下さい。
http://www.kodomohappy.com/

※ 子どもの貧困に関するその他の一部の記事のアドレスです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-14/2007021402_04_0.html

http://www4.ocn.ne.jp/~kazsat/hinkon.htm

http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/other/0904_child.htm

http://ajimura.blog39.fc2.com/blog-entry-834.html  

Posted by 夢想花 at 02:11Comments(3)名もなき孤老の訴え
 きょうは、愚痴というか怒りicon08のたらたらです。

  オバマさんが、欲し~~~い!

 恐縮ですが、自分のことを言いますと・・・・昭和20年代から30年代初め、ものごころ着いてから小学生の間ぐらいまでは、家が貧乏であるということは、恥ずかしい、親のせいだと思っていました。父親が心臓が悪くていつも家で寝たり起きたり、母親が外へ働きに出ていました。定職なんてものではなく、いろんな仕事を繋いで、めちゃくちゃ働いていました。だから、家にお米がなくて、母親が夜遅くお金を稼いで来てから、いわゆる闇米屋さんにお米を買いに行ってそれからご飯を炊くこともよくありました。だから、腹ぺこ・空腹は当たり前。家の壁は、はがれたままで世間の目に曝されている! 学校の給食代も払えへん! 赤い傘しかないから、男の子である私は、雨の日は恥ずかしうて、学校に行けへん!

★ そんな貧乏が恥ずかしいと思っていました。貧乏は、本人の努力不足のせいや、親のせいや、と思っていました。貧乏がそんなことやない、恥ずかしいことでないと気づいたのは、後に社会経験をしたり、勉強したりして分かってきました。

・・・貧乏も、金持ちも、社会の構造のなかで生まれること、たまたま生まれた家によってはチャンスが有る無し、それも何世代にわたってその家の貧富の経済状態が引き継がれること、学校の勉強(学力)も本人の努力以外の要素があること・・・が、分かってきました。

★ ところで、最近、例の政治家が「貧乏だったら、結婚しなくていい」「稼ぎが悪いのを尊敬できるか?」てな趣旨の発言をしたとのことです。

icon08何を言うてんねん! 己は、経済的にも文化的にもチャンスに一杯恵まれて! 彼だけでなく、政財官界の指導的な層の人たちは、そうした構造の上に乗っかって自分たちに有利な仕組みを造ってきた!icon08icon08icon08誰が、好き好んで、貧乏になるネン! ワーキング・プアーは、誰がつくって来たねんicon10icon10

  社会構造の中で、チャンスの枠外に追いやられ、真面目に働きたくても働くチャンスを奪われ、貧困の際に追いやられている人たちの怨嗟の声を、分かっているのか? 憲法で「職業選択の自由」が規定されているけれど、実態は、そんなことあらへん! そういうことを分かってくれる、オバマさんが日本にも欲し~~~いicon11icon10icon10

  

Posted by 夢想花 at 00:46Comments(4)名もなき孤老の訴え
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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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