令和5年、一般参賀での、
宮内庁HP
天皇のお言葉、です。

https://www.kunaicho.go.jp/event/sanga/r05-0102-mov.html


天皇陛下
新年おめでとうございます。
この3年近くにわたり、
   新型コロナウイルス感染症の
      感染拡大などによって、
 皆さんには、多くの御苦労があった
        ことと思います。

3年の月日を経て、今日、こうして、
皆さんと一緒に新年を祝うことを
      誠にうれしく思います。

いろいろ大変なこともあるかと
      思いますが、
本年が、
皆さんにとって、
安らかで良い年と
   なるよう願っています。

年の始めに当たり、
我が国と世界の人々の
   幸せを祈ります。




       と、令和五年、新年の挨拶を
           述べられました。

       挨拶の中でもあるように、
     本年が、安らかで良い年に成るよう、
     我が国と世界の人々の幸せが
      実現する世でありますよう、

           世界の権力者の皆さま、
          人の命と幸せを、大切に、大切にされるよう、
             真摯に、お願いする、私もです。m(__)m



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     昨日の午後、
      ポカポカ陽気の中、
       気分よく散歩の途中、
      公園で、日向ぼっこ、中の
       3人の女性と、お話ししましたkao_01

3人共、私より年配の方々で、
    私が生まれた昭和18年以前の、
      空襲の状況を、話して下さいました。

      私の故郷、京都市では、
        幼な心の記憶に、
       私が、母親に抱かれて、
          夜空の航空機の、“閃光”を見上げて、
        その傍で、近所のおばちゃん・おっちゃんが、
       B29や! B29や! と、叫んでいたのを、
          何故か、覚えているのです。  

        
公園で出会った3人のご婦人は、
     子どもの頃に経験した
       “空襲”の怖さと、
        防空壕の中の人の様子、
          そして、各家では
         お父さんが、電気を消して、
          空襲の終わるまで、
           留守番をしていた。

         と、仰ってました。


    私が、滋賀県に移住し住み着いたのは、
       昭和44(1969)年です。
      滋賀県に移住して、
         私が驚いたのは、
        滋賀県には、空襲の跡地が、かなり有る、
           との事でした。

        私が、戦後、幼な心に聞いた記憶では、
         京都市は、天皇の住む地で、
           米軍は、それを考慮して、
             空襲・爆撃をしなかった、
               との事でした。

       私は、ご婦人方に、そうした、
         戦時中の記憶を、
         文章に書かれて、
        後世の人たちに、遺されては・・・!
           と、お勧めしましたが、
          それも、難しいとの事でした。

今、若い世代の方々が、
   核兵器の怖さを、伝える活動を
        されてます。

そのHP
カクワカ広島 です。

https://kakuwakahiroshima.jimdofree.com/


      今、戦争の記憶が、“風化”している
          危険を、思います。
        政界でも、ロシア軍のウクライナ侵攻、を
           機に、
          軍備・防衛力の増強や、
          日本国憲法を改憲して、
             軍備を、日本国憲法に
               “加憲・改憲”する動きも

                 出て来ています。


日本の軍備力の増強、
日本国憲法改定の
    影響は、モロに、
      今の青年や子ども達の
        平和・安寧の未来生活に
          関わってきます。



       どうか、どうか、
         日本の、後世の平和・安寧の為に、
           軍備には、軍備を・・・・!  
              なのか、

          それとも、
     日本国憲法の恒久平和主義を、
     世界に、粘り強く、呼びかけていく
           事なのか・・・?!

             非常に、懸念しています。
            戦後日本の歩みを見てきた
        老人の私の思いを、訴えさせて、下さい。m(__)m





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開会中の、
東京オリンピックを、
   複雑な思いで、見ていますkao_01

眼前のテレビは、
女子柔道の試合・・・


  私も、巡査時代に、弱いながらも
    柔道を、教官から学び、
     礼に始まり、礼に終わる!
      柔道の“一端”を齧りました。・

   だから、先程は、テレビで
    柔道競技の試合を、
     興味深く見てましたkao_01

ですが、
相次ぐ舌禍
狭量な判断の連鎖、
そして、
コロナ禍で、世界中の・日本中の
    国民・庶民が苦しんでいる中での
      大会の開催・・・
今回の東京五輪大会、開催には、
    すっと入り込めない
      複雑な思いで、テレビを
        見ていますkao_3
昨夜の開会式も、様々な思いで、
    テレビを見ました。
     その中で、

天皇の開会宣言に、
   気を使われたんだろうな、
    という思いを、禁じ得ませんでした。


天皇は、開会宣言で
私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、
   東京大会の開会を宣言します。
     と述べられました。


1964(昭和39)年の
昭和天皇は、
オリンピアードを祝い

   と宣言したのに対し、
   今大会では「記念する」と表現を変えられました。

今回の大会を巡って、
五輪大会の趣旨に反する、
   相次ぐ“舌禍”と、
    大会役員の
     問題意識の“揺らぎ”

       等々、

そこへ、
コロナ禍感染の蔓延・・・


   頑張ってるアスリートの皆さんには、申し訳ないけど
     五輪大会の精神
    人類社会の平和建設、
    人類の相互理解、がより進むよう、

     アスリートの皆さんだけでなく、
      大会役員・政府関係者、
     そして、私たち国民・庶民の
      相互理解が進みますよう、
       希い、切に要望したい
       一国民・庶民の私の願いです。m(__)m





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  昨日は、
あの、凄絶な太平洋戦争終結から75年
多くの人の命が奪われ、
人生が蹂躙され、
   今も、その後遺症は、
     我が国のあちこちに、
     外地に、影を一杯遺しています。


終戦の1945年8月15日、     
     私は、2歳の赤子でした。
      今まで、いろいろ聞いて
       ニュース映画等で見て、
       戦争の事を知ってるようで、
        知らない私です。
そこで、まず、

ヤフー・ニュース
どれだけ知っていますか? 
ビジュアルで見る太平洋戦争
 です、
https://news.yahoo.co.jp/feature/1784

そして、
昨日行われた
政府主催の「全国戦没者追悼式」の模様 
です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eddddb07e85314d8f2c39b77ccc2d1621b41a74b

<天皇のお言葉です。>
本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日にあたり、
全国戦没者追悼式に臨み、
先の大戦において
かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
    深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来75年、
人々のたゆみない努力により、
今日の我が国の平和と繁栄が築きあげられましたが、
多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、
      誠に感慨深いものがあります。

 私たちは今、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、
新たな苦難に直面していますが、
私たち皆が手をともに携えて、
この困難な状況を乗り越え、
今後とも人々の幸せと平和を希求し続けることを
     心から願います。

 ここに
戦後の長きに渡る平和な歳月に思いを致しつつ、
過去を顧み、深い反省の上に立って、
再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
全国民とともに心から追悼の意を表し、
   世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


そして、式の中で、
遺族代表の当時5歳だった
杉山英夫さん(82歳)が、
召集令状が届いた日の
父親甚作さんの思い出を、
      次のように、語っておられます。
    
 終戦から75年がたち遺族の高齢化が進む中、
戦争遺族を二度と出さない、と、
静岡県遺族会では、後継者育成に取り組んでいる。

 1943年3月、
自宅で農作業の準備をしていた父のもとに召集令状が届いた。
当時杉山さんは5歳。
父の記憶は少ないが、この日の声は忘れられないという。
父は浜松市の高射砲連隊などを経てフィリピンに渡り、
     45年6月に同国ルソン島で戦死した。

 父の死を知ったのは終戦から数年後。
周囲が続々と復員し、
父もそのうち帰ってくるんじゃないか、と思っていたが、
    自宅には紙の入ったつぼが届いただけだった。
近所の復員兵らに可愛がられて育ったものの、
生き方に悩んだ若い頃は、
父がいれば相談に乗ってくれただろうに」とつらい思いをした。

 父の最期の地を訪ねたのは2013年だった。
緑豊かな場所で、
海の中や何もないところではなく、環境の良いところで休んでいるのか、
     と安らかな気持ちで手を合わせた。
今回の悼辞も、
父らすべての戦没者に慰霊の思いが届くよう、
    なるべく大きな声で読み上げたつもりです。

 杉山さんが会長を務める静岡県遺族会では、
遺族の高齢化による記憶の風化を防ごうと、
   後継者を育てる研修会を今年度から始める。

現在は新型コロナウイルスの流行により準備段階で中断しているが、
戦争を二度とせず、
われわれのような遺族を二度と出さない事が
     今の遺族会の目的です。 


     戦争の悲惨さを、思うにつけ。
      当時の為政者の誤った判断が、
      民衆を巻き込み、
       多くの人の人生を、惨禍に追い込んだ、

        為政者の我執・誤った判断、に行き当たります。
 
      主権在民国家の日本で、
        私たちが、
      政治をどう見詰めて、
       判断するか?

         私たち民衆の声発信や政治への関心を
           切望しつつ、
          戦争について語りたい、戦後の日本を
            見詰めて来た私の願いです。m(__)m






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戦争、に触れた号 です。
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   テレビ報道やヤフーニュースで
      心配している事は、

上皇さま(平成天皇)86歳が、
   29日夕、住まいの皇居・吹上仙洞御所で
  一時意識を失い、倒れられたという事です。
宮内庁病院で30日午前に頭部MRI検査を受けた結果、
   原因となる所見は見つからなかったという事です。


倒れた際、
そばにいた上皇后さまが支え、
非常ブザーで侍医を呼び、
侍医が駆け付けた際も
上皇さまは意識がなく、
いびきのような息づかいをしていた。
しばらくして意識が戻り、寝室に運ばれ、
    処置を受けたという。
30日朝は、いつもと同様に朝食を取った。
 
     という事です。

   大過なく、快復されてよかったです。
   実は、上皇さまが、皇太子の時に、
    国鉄京都駅のプラットホームで、
     警衛勤務をしていた、
     当時京都府巡査だった私と眼が合い、
若き上皇さまは、私に、深々と頭を下げられ、
    私も思わず、挙手敬礼をした思い出が強烈です。

   その後、七条警察署長に呼ばれ、
    お前みたいな雑魚が敬礼するな!
      と、叱られましたが、心の中で、
       フン! と軽く、反発してました。
当時から、真面目なお人柄で、
真剣に、敬礼、頭を下げられた!
   感激でした。
平和と国民の安寧に向き合う姿勢も
  以後、ずっと素晴らしく、
霞が関界隈で、最も真面目な人・・・


   どっかの自称政治家に聴かせてやりたい
     爪の垢でも、ご進呈したい、
上皇さまのご健勝を願う、若き日から大フアンの
    元巡査の強烈思い出、有難うございます。m(__)m


  ~~~~~~~~~
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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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