辛い、胸衝かれる思いで、見ました。
昨日のNHKeテレ
NHK戦争証言アーカイブス
巨大戦艦大和 乗組員たちが見た生と死 です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001230007_00000
日本海軍が建造した世界最大の戦艦、大和。
全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、
1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。
太平洋戦争末期の昭和20年4月5日、
大和の広大な甲板は乗組員たちで埋め尽くされていました。
これまでにない特別な命令が下ったのです。
「海上特攻隊」として沖縄に突入せよ。」
それは、
生きて再び帰ることを望んではならない作戦でした。
この時、
沖縄は激しい攻撃にさらされていました。
アメリカ軍は沖縄を日本本土攻略の拠点とするため、
50万の兵力を動員、
2000隻の艦船で包囲します。
大和を主力とする海上特攻部隊は、
最後は浅瀬に乗り上げてでも、
砲撃を続けるよう求められたのです。
4月6日に出撃した大和は、
翌7日、
鹿児島県の沖合でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受けました。
低く厚い雲を利用して、
航空機が次々と大和の懐へ飛び込んできたのです。
そして、
大和は大きく傾き、沈没しました。
この時、
乗り組んでいた3332人の9割以上が
船と運命をともにしました。
そして、
生き残った乗組員も、
「なぜ、自分は生き残ったのか」と
答えの出ない問いかけを続け、
長い戦後を生きてきました。
昭和20年の4月5日、と言えば、
私は2歳の赤子でした。
もう少し早く生まれていれば
私も、お国の為に
命を、散らしていたかも知れません。
為政者の誤った政策で、
死に追い詰められた若者たち。
こんな悲劇を繰り返さない為にも、
私は、この凄惨な事実を目撃していませんが
この戦争アーカイブスをupして、
学びたいです。m(__)m
※ なお、このブログで、
戦後目撃した
昭和18年生まれの私の記述です。
お役に立てれば、とupします。
ぜひ、クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=19db7c0d343e08c96d3474f141e0658c94481c24&search=%E6%88%A6%E5%BE%8C%E7%9B%AE%E6%92%83
昨日のNHKeテレ
NHK戦争証言アーカイブス
巨大戦艦大和 乗組員たちが見た生と死 です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001230007_00000
日本海軍が建造した世界最大の戦艦、大和。
全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、
1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。
太平洋戦争末期の昭和20年4月5日、
大和の広大な甲板は乗組員たちで埋め尽くされていました。
これまでにない特別な命令が下ったのです。
「海上特攻隊」として沖縄に突入せよ。」
それは、
生きて再び帰ることを望んではならない作戦でした。
この時、
沖縄は激しい攻撃にさらされていました。
アメリカ軍は沖縄を日本本土攻略の拠点とするため、
50万の兵力を動員、
2000隻の艦船で包囲します。
大和を主力とする海上特攻部隊は、
最後は浅瀬に乗り上げてでも、
砲撃を続けるよう求められたのです。
4月6日に出撃した大和は、
翌7日、
鹿児島県の沖合でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受けました。
低く厚い雲を利用して、
航空機が次々と大和の懐へ飛び込んできたのです。
そして、
大和は大きく傾き、沈没しました。
この時、
乗り組んでいた3332人の9割以上が
船と運命をともにしました。
そして、
生き残った乗組員も、
「なぜ、自分は生き残ったのか」と
答えの出ない問いかけを続け、
長い戦後を生きてきました。
昭和20年の4月5日、と言えば、
私は2歳の赤子でした。
もう少し早く生まれていれば
私も、お国の為に
命を、散らしていたかも知れません。
為政者の誤った政策で、
死に追い詰められた若者たち。
こんな悲劇を繰り返さない為にも、
私は、この凄惨な事実を目撃していませんが
この戦争アーカイブスをupして、
学びたいです。m(__)m
※ なお、このブログで、
戦後目撃した
昭和18年生まれの私の記述です。
お役に立てれば、とupします。
ぜひ、クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=19db7c0d343e08c96d3474f141e0658c94481c24&search=%E6%88%A6%E5%BE%8C%E7%9B%AE%E6%92%83
暑苦しい日が、続いていますが、
このブログでも、
暑苦しい私なりの戦後目撃史
第2弾をお送りします
。
いつも食べるものが無く、
空腹・腹ペコの子ども時代で、
小学校入学して嬉しかったのは、
お昼の給食が楽しみで、
その為に、学校へ通ったようなものです。
ただ給食の時間に、
朝鮮人の子が、学校のグラウンドをうろうろ歩いていたのを、
教室の窓から見て、
可哀そうやなぁ、と思って見ていました。
当時は、
在日朝鮮人の子は、
無視されたようなことだったのでしょうか?!
家では、
病気がちの父親の口癖は、
「滋養が欲しい!」でした。
子どもの私もいつも空腹で、
私も、近くの畑に入り込んでは、作物をチョロマカし、
畑のおじさんから追い立てられました。
小学校2年の昭和27年に、
ラジオ放送「君の名は」が始まり、
戦争で離ればなれになった男女が、
戦後再会して、愛を育むというドラマで、
おませな私は、他に楽しみが無かったこともあって、
木箱のラジオにしがみついて聴いてました。
♪君の名は♪ という歌も覚え、
岸恵子・佐田啓二、
そして真知子まきも、白黒映画も見て覚えました。
(以下、次号以下に続けます。)
脳内編集会議で、さらに纏めます。。m(__)m
このブログでも、
暑苦しい私なりの戦後目撃史
第2弾をお送りします

いつも食べるものが無く、
空腹・腹ペコの子ども時代で、
小学校入学して嬉しかったのは、
お昼の給食が楽しみで、
その為に、学校へ通ったようなものです。
ただ給食の時間に、
朝鮮人の子が、学校のグラウンドをうろうろ歩いていたのを、
教室の窓から見て、
可哀そうやなぁ、と思って見ていました。
当時は、
在日朝鮮人の子は、
無視されたようなことだったのでしょうか?!
家では、
病気がちの父親の口癖は、
「滋養が欲しい!」でした。
子どもの私もいつも空腹で、
私も、近くの畑に入り込んでは、作物をチョロマカし、
畑のおじさんから追い立てられました。
小学校2年の昭和27年に、
ラジオ放送「君の名は」が始まり、
戦争で離ればなれになった男女が、
戦後再会して、愛を育むというドラマで、
おませな私は、他に楽しみが無かったこともあって、
木箱のラジオにしがみついて聴いてました。
♪君の名は♪ という歌も覚え、
岸恵子・佐田啓二、
そして真知子まきも、白黒映画も見て覚えました。
(以下、次号以下に続けます。)
脳内編集会議で、さらに纏めます。。m(__)m
先日のNHKTVで、
戦争への記憶の放映がありました。
NHK戦争証言アーカイブス です。
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/
さらに、ネット検索して、
NHK沖縄戦70年語り継ぐ未来へ です。
https://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/
1943(昭和18)年生まれの私は、
終戦の1950(昭和20)年の時、
2歳の赤子でした
。
以後、戦後、
食べるものが乏しく、
腹ペコ・空腹の幼年・少年時代を過ごしました。
昭和25年から、
京都の小学校に入学し、
お昼の給食が楽しみで、
学校へ、通いました。
クジラの肉を食べ、
脱脂粉乳の飲み物を飲み、
学校好きで、
先生方も友だちも好きで、
学校に通いました。
※ そんな思い出、
戦後目撃した日本の世相への思いを
このブログでも触れて来ました。
クリックをぜひお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=afee0dca3d679a298c6a8a48f2a8963ab5b08f22&search=%E6%88%A6%E5%BE%8C
一度も、選挙の投票を
私が、幼児期から
戦後の辛い思いを、一杯、刻んで来た以上に、
私の人生の先輩は、
戦争で命を奪われたり、
人生を辛い状態に、追い込まれたり
されてます。
来たる選挙、
どうか棄権されませぬよう、
今は選挙権を持たない子ども達
未来世代の人たちに、
平和な日本と世界を伝承できるよう、
政治に関心を持って、
選挙には
清き重き一票を行使されますよう、
戦争への記憶の放映がありました。
NHK戦争証言アーカイブス です。
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/
さらに、ネット検索して、
NHK沖縄戦70年語り継ぐ未来へ です。
https://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/
1943(昭和18)年生まれの私は、
終戦の1950(昭和20)年の時、
2歳の赤子でした

以後、戦後、
食べるものが乏しく、
腹ペコ・空腹の幼年・少年時代を過ごしました。
昭和25年から、
京都の小学校に入学し、
お昼の給食が楽しみで、
学校へ、通いました。
クジラの肉を食べ、
脱脂粉乳の飲み物を飲み、
学校好きで、
先生方も友だちも好きで、
学校に通いました。
※ そんな思い出、
戦後目撃した日本の世相への思いを
このブログでも触れて来ました。
クリックをぜひお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=afee0dca3d679a298c6a8a48f2a8963ab5b08f22&search=%E6%88%A6%E5%BE%8C
私の小さな自慢は、
食べ物の好き嫌いを言った事がないことと、
20歳で、選挙権を得て以来、一度も、選挙の投票を
棄権した事がない事です。
私が、幼児期から
戦後の辛い思いを、一杯、刻んで来た以上に、
私の人生の先輩は、
戦争で命を奪われたり、
人生を辛い状態に、追い込まれたり
されてます。
来たる選挙、
どうか棄権されませぬよう、
今は選挙権を持たない子ども達
未来世代の人たちに、
平和な日本と世界を伝承できるよう、
政治に関心を持って、
選挙には
清き重き一票を行使されますよう、
切に、切に、お呼び掛けしたい
元腹ペコ・ペコ少年です。m(__)m
元腹ペコ・ペコ少年です。m(__)m
昭和18年生まれ、戦後世相目撃史を書こうと思ったら、
マイ脳内は、そのことばかりが、ブァ~~!
っと、
比重を占めて 来て居ます!!!
よく言えば、一直線!
日本人に、よくあるタイプ?!
右か左か、どちらかに決めたがる!!!
これが、戦争翼賛に、繋がった??!!
イカン、いかん!!!
ここは、ワンクッション、風を入れて・・・(^^;)
戦後目撃史の原稿は、一応、書き終えて居ますが、
ここは、風を入れて
♪ 千の風に・・・ ♪ 、んっ?
曖昧模糊、中途で浮気?
思い詰めないことも、
人生には、大切なこと。。。
と、改めて思い至りました。
さっきテレビで観た、
人形のマツコアンドロイド。。。
人形であるが故に、相談者
と、
カウンセラーマツコ&アンドロイドの間
に、
逆に、バリアーが低くなって、
相談しやすい!!!
と、
心理学専門のコメンテーターも、仰有ってました。
う~ん、成る程!!!
この、ブログ夢想花も、
せめて、二直線があったら、
次は、一曲線、の導入!
と、いうか、
他に、眼を転じるコトの大切さにも、
今更ながらに、気付きました。
有り難う!!!
マツコアンドロイドさんと、
その背後の
マツコさん!!!
ということで、今号は、
脳内クッション、
訳、分かりにくい 、記事デシタ~~~(^^;)
マイ脳内は、そのことばかりが、ブァ~~!
っと、
比重を占めて 来て居ます!!!
よく言えば、一直線!
日本人に、よくあるタイプ?!
右か左か、どちらかに決めたがる!!!
これが、戦争翼賛に、繋がった??!!
イカン、いかん!!!
ここは、ワンクッション、風を入れて・・・(^^;)
戦後目撃史の原稿は、一応、書き終えて居ますが、
ここは、風を入れて
♪ 千の風に・・・ ♪ 、んっ?
曖昧模糊、中途で浮気?
思い詰めないことも、
人生には、大切なこと。。。
と、改めて思い至りました。
さっきテレビで観た、
人形のマツコアンドロイド。。。
人形であるが故に、相談者
と、
カウンセラーマツコ&アンドロイドの間
に、
逆に、バリアーが低くなって、
相談しやすい!!!
と、
心理学専門のコメンテーターも、仰有ってました。
う~ん、成る程!!!
この、ブログ夢想花も、
せめて、二直線があったら、
次は、一曲線、の導入!
と、いうか、
他に、眼を転じるコトの大切さにも、
今更ながらに、気付きました。
有り難う!!!
マツコアンドロイドさんと、
その背後の
マツコさん!!!
ということで、今号は、
脳内クッション、
訳、分かりにくい 、記事デシタ~~~(^^;)
昨日、「イジメ防止学習会」の会場の少しの段差に躓いて、前のめりにべたっと転けて、右脚ももをしこたま、昨日は痛いけどお話しし、きょうは一日、ちょっと動かせば痛い、痛い一日を過ごしました!
イジメ防止学習会でのお話し合い・・・
学習会は、15名の参加を戴いて、
できるだけ具体的なお話しをし、
話題提供の後の、参加者のご意見も白熱!
あっと言う間に時間が過ぎました。
昼1時半から、キーボードと音楽仲間のクロマチックハーモニカ演奏。
2時過ぎから、私の話題提供・基調提案・・・
1943(昭和18)年生まれ、
戦後目撃したこと、
民主主義の波を子ども心に感じながらも、差別やイジメがあったこと。
人間は、本来、イジメをする生き物!
昔から、
殺戮や戦争をして、権力支配を強めてきたこと。
それが、
平和共存の必要から
「社会契約説」「民主主義」「人権の尊重」「平和主義」という理念を、
世界・日本の多くの人、は体得し、平和裡に社会生活を営んでいること。
それが、
子どもたちの世界では、
面白ければ、その方に傾き、
イジメがスカレート・グループ化・陰湿化し、
「冗談やがな!」「友だちやろう?!」の論理で、
イジメやフザケを正当化し、
虐められている子は、
虐めてる子にたまに優しい言葉をかけられると、
「冗談やがな!」「友だちやろう?!」の言葉を信じようとし、
虐められている子は、プライドもあり親に知られたくない、
ことから自分で抱え、
そこへ学校の教師に訴えても、
「あなたにも“責任”があるんでは・・・?」
なんて“反応”されると、
ますます自分の世界に閉じ籠もって、
最悪、“死”を選んでしまいかねない・・・
イジメの構造やイジメの兆候を見抜けるのは、
学校では、教師が最も身近な“大人”であること。
私の経験では、用務員さんのお力も大きい。
だから、
学校の“大人”が呆けていたら、イジメは深刻化すること!
地域社会では、大人たちの“眼差し”や“関心”が必要であること! だから、
“大人たち”が呆けていたら、
子どもたちの世界のイジメが見抜けないこと!
等々をお話しししました。
話題提供約1時間。
そのあと、会場参加者の方のお話し合い。。。
★ 「イジメ」や「体罰」という名の陰に隠れて、行為の【犯罪性】が矮小化されているのではないか??!
行為者に、きちんと“責任”を取らせること、
そのために、警察権力の導入も・・・
★ 家庭の責任、
地域社会の大人の責任、
★ いま、学校も大変なとき、
“批判”ばかりで終わるのではなく、積極的に“協力”ること。
★ 学校の空き教室を利用して、子どもたちに“昔の遊び”や“歌”などを教えたり、
いま、“食物アレルギー”問題への対応に、地域の大人が、
副担任みたいな形で、特に高齢者が関われないか?!
★ 地域社会で、大人が、高齢者が“声”を懸け、若干の“お節介”をすること、
そのための、今の時代にあった“井戸端会議”を開く、
・・・こと、等々、お話しが一杯出てきました。
もっと、書き残したことはあるのですが、取り敢えずご報告します。
次回、2月9日、同じ会場・時間帯で、学習会を開く予定です。
このブログでも、折りに触れ、ご報告しようと思ってますが、
脚の痛みと格闘しつつ、まずは、体調快復とお付き合い、です
。
※ このブログの左欄「イジメ・虐待問題」をクリックしてください。
いろんな話題を取り上げています。
お考えの参考になれば、と存じます。
よろしくお願いします
。
イジメ防止学習会でのお話し合い・・・
学習会は、15名の参加を戴いて、
できるだけ具体的なお話しをし、
話題提供の後の、参加者のご意見も白熱!
あっと言う間に時間が過ぎました。
昼1時半から、キーボードと音楽仲間のクロマチックハーモニカ演奏。
2時過ぎから、私の話題提供・基調提案・・・
1943(昭和18)年生まれ、
戦後目撃したこと、
民主主義の波を子ども心に感じながらも、差別やイジメがあったこと。
人間は、本来、イジメをする生き物!
昔から、
殺戮や戦争をして、権力支配を強めてきたこと。
それが、
平和共存の必要から
「社会契約説」「民主主義」「人権の尊重」「平和主義」という理念を、
世界・日本の多くの人、は体得し、平和裡に社会生活を営んでいること。
それが、
子どもたちの世界では、
面白ければ、その方に傾き、
イジメがスカレート・グループ化・陰湿化し、
「冗談やがな!」「友だちやろう?!」の論理で、
イジメやフザケを正当化し、
虐められている子は、
虐めてる子にたまに優しい言葉をかけられると、
「冗談やがな!」「友だちやろう?!」の言葉を信じようとし、
虐められている子は、プライドもあり親に知られたくない、
ことから自分で抱え、
そこへ学校の教師に訴えても、
「あなたにも“責任”があるんでは・・・?」
なんて“反応”されると、
ますます自分の世界に閉じ籠もって、
最悪、“死”を選んでしまいかねない・・・
イジメの構造やイジメの兆候を見抜けるのは、
学校では、教師が最も身近な“大人”であること。
私の経験では、用務員さんのお力も大きい。
だから、
学校の“大人”が呆けていたら、イジメは深刻化すること!
地域社会では、大人たちの“眼差し”や“関心”が必要であること! だから、
“大人たち”が呆けていたら、
子どもたちの世界のイジメが見抜けないこと!
等々をお話しししました。
話題提供約1時間。
そのあと、会場参加者の方のお話し合い。。。
★ 「イジメ」や「体罰」という名の陰に隠れて、行為の【犯罪性】が矮小化されているのではないか??!
行為者に、きちんと“責任”を取らせること、
そのために、警察権力の導入も・・・
★ 家庭の責任、
地域社会の大人の責任、
★ いま、学校も大変なとき、
“批判”ばかりで終わるのではなく、積極的に“協力”ること。
★ 学校の空き教室を利用して、子どもたちに“昔の遊び”や“歌”などを教えたり、
いま、“食物アレルギー”問題への対応に、地域の大人が、
副担任みたいな形で、特に高齢者が関われないか?!
★ 地域社会で、大人が、高齢者が“声”を懸け、若干の“お節介”をすること、
そのための、今の時代にあった“井戸端会議”を開く、
・・・こと、等々、お話しが一杯出てきました。
もっと、書き残したことはあるのですが、取り敢えずご報告します。
次回、2月9日、同じ会場・時間帯で、学習会を開く予定です。
このブログでも、折りに触れ、ご報告しようと思ってますが、
脚の痛みと格闘しつつ、まずは、体調快復とお付き合い、です

※ このブログの左欄「イジメ・虐待問題」をクリックしてください。
いろんな話題を取り上げています。
お考えの参考になれば、と存じます。
よろしくお願いします
