乙武洋匡さんの、不倫疑惑、の報に、
戸惑って居ます。
今まで、
彼の言葉に、生き方に励まされて
このブログでも、再三取り上げて来ました。
クリックして下さい。 m(_ _)m
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=665532e3b10a399b6af6e890bb3822166bab8a30&search=%E4%B9%99%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%8C%A1
実は、政権政党から秋波を送られた報は、
乙武さんの、日頃のご主張と違う!
と、違和感を持ってました。
案の定、今回の疑惑で、
集票能力がなくなったと分かると、
手のひら返して
簡単に、
電波停止、ならぬ、いや、秋波停止・・・!!!
乙武洋匡さんも、猛省され、
政界進出を期されるなら、
本当に、
乙武さんのご主張や生き方に、
寄り添う、政党会派と、
手を組まれては?!
と、思う次第の、心配しぃの爺で御座います。(>_<)
戸惑って居ます。
今まで、
彼の言葉に、生き方に励まされて
このブログでも、再三取り上げて来ました。
クリックして下さい。 m(_ _)m
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=665532e3b10a399b6af6e890bb3822166bab8a30&search=%E4%B9%99%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%8C%A1
実は、政権政党から秋波を送られた報は、
乙武さんの、日頃のご主張と違う!
と、違和感を持ってました。
案の定、今回の疑惑で、
集票能力がなくなったと分かると、
手のひら返して
簡単に、
電波停止、ならぬ、いや、秋波停止・・・!!!
乙武洋匡さんも、猛省され、
政界進出を期されるなら、
本当に、
乙武さんのご主張や生き方に、
寄り添う、政党会派と、
手を組まれては?!
と、思う次第の、心配しぃの爺で御座います。(>_<)
車で,ラジオを聴いていたら、選挙投票率のことが報じられていました
。
我が家で、ネット検索しましたら、どの都道府県でも
棄権率が4割前後!
残酷な数字です。
政治に関心があろうがなかろうが、
今は発言権すらない、子々孫々のことを考えると、
棄権なんて、無責任の極み?!
未来世代へのネグレクト?!!!
精一杯勉強し、意思表示をするのが
民主主義国家の、
現有権者の責任、
というものではないでしょうか?!!!
皆さまに、
お近くの方に、投票する大切さを、
話しかけて欲しい!
と、夢想花、願う次第で御座います<(_ _)>。
※ 総務省の調査結果です。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_2_3.html
※ 乙武洋匡さんの呼びかけで"大激論"に、
という記事も見て下さい。
http://news.livedoor.com/article/detail/7231326/

我が家で、ネット検索しましたら、どの都道府県でも
棄権率が4割前後!
残酷な数字です。
政治に関心があろうがなかろうが、
今は発言権すらない、子々孫々のことを考えると、
棄権なんて、無責任の極み?!
未来世代へのネグレクト?!!!
精一杯勉強し、意思表示をするのが
民主主義国家の、
現有権者の責任、
というものではないでしょうか?!!!
皆さまに、
お近くの方に、投票する大切さを、
話しかけて欲しい!
と、夢想花、願う次第で御座います<(_ _)>。
※ 総務省の調査結果です。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_2_3.html
※ 乙武洋匡さんの呼びかけで"大激論"に、
という記事も見て下さい。
http://news.livedoor.com/article/detail/7231326/
人間って、凄い!!!
私の百の講釈より、このアドレス開いてください。人間の可能性を拓く生き方の素晴らしさに感動しています。NHKTV番組「きらっといきる」のHPです。ぜひ、クリックしてください。
http://www.nhk.or.jp/kira/
http://www.nhk.or.jp/kira/04program/04_363.html
※ 1月16日のこのブログの記事の抜粋です。
乙武洋匡さんは言います。
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
人間は、一人ひとり何か“使命”なんて大げさだけれど、その人にしかできないことがあるはずだ。この体はそれを見つけるためのヒントなのじゃないか。
背が高い人、低い人もいるように、障害はその人の個性なのだ。
心のバリアフリーに本当に必要なのは、違った他人を認める心。自分が世界でひとりしかいない、かけがえのない自分だと認めれば、他人にもそう思える。
昨日に続き、お送りします。
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
みなさんは、障害を持っている人を理解して欲しい。(障害者を)理解する心抜きにバリアフリーを進めれば、(障害者への)配慮の欠けたバリアフリーが進んでしまう。
(健常の人は、障害を持っている人に対して) 「何かお手伝いすることがありますか?」と声をかけてほしいし、非常に有り難い。<彼は、ほとんどのことを自分でしようとしますが、衣服の着脱(ちゃくだつ)などどうしても手助けが欲しいことについては、率直に助けを求めています。>
どうして障害者は、可哀想なのか!? 障害を持っても、楽しく過ごしている人がいるよという例として、本を書いた。
障害を持っているといって、何か制限をつけると言うのはもったいない。
社会的な制約があっても、まず自分自身のバリアーを打ち破ってほしい。
~~~~~~~~~~~~~
《
ここで突然に、番組構成上、「夢想花放送局」のしゃ長 と しゃ員(社長・社員というには、私の頭の中だけの「会社」というにはややおこがましいモノですので、やや照れまして、以下「しゃ長」「しゃ員」と言います
) が登場します。冗談っぽいですが、中身は、真面目なことを言おうとしていますので、辛抱しておつきあいください
》
しゃ員 しゃ長、乙武さんの話、どうでした? ご感想は?
しゃ長 それは、CM2 の あとで・・・。
しゃ員 引っ張りまんなぁ。どこに CM1 がありましたんねん?
しゃ長 あした、あした、あした、私はコクります。(明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
みなさんは、障害を持っている人を理解して欲しい。(障害者を)理解する心抜きにバリアフリーを進めれば、(障害者への)配慮の欠けたバリアフリーが進んでしまう。
(健常の人は、障害を持っている人に対して) 「何かお手伝いすることがありますか?」と声をかけてほしいし、非常に有り難い。<彼は、ほとんどのことを自分でしようとしますが、衣服の着脱(ちゃくだつ)などどうしても手助けが欲しいことについては、率直に助けを求めています。>
どうして障害者は、可哀想なのか!? 障害を持っても、楽しく過ごしている人がいるよという例として、本を書いた。
障害を持っているといって、何か制限をつけると言うのはもったいない。
社会的な制約があっても、まず自分自身のバリアーを打ち破ってほしい。
~~~~~~~~~~~~~
《



しゃ員 しゃ長、乙武さんの話、どうでした? ご感想は?
しゃ長 それは、CM2 の あとで・・・。
しゃ員 引っ張りまんなぁ。どこに CM1 がありましたんねん?
しゃ長 あした、あした、あした、私はコクります。(明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボク が目指しているのは、心のバリアフリー。
(なぜ、今、社会で、人間同士、たとえば親子で、教師と生徒の間で、友だち同士で、バリヤーを持っているのか?)
みんな本当は、他人を必要としているが、恐がって、かかわりを持ちきれていない。自分に自信が持てなくて、なお、他人に批判されることを恐れている。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
(明日につづく)
話は変わりますが、今朝(ブログ発表は17日だから昨日の朝になりますが、実際の作業は16日にしていますので本日の朝・・・どうでもいいことですが・・・)、道路のちょっとした段差につまずいて、しこたま、左胸を打ちました。だんだん痛くなって、今、左手を上げ下げするたびに痛みが走る、ややですが、不自由な状態でパソコンに向かっています。
体が不自由になると、今まで気づかなかったことに気づいてきます。動くたびに痛みが走り、ちょっとしことをするのが大層で、億劫になります。また高齢になって、足が上がっているつもりでも上がっていない、だからちょっとした段差でつまずく。転んで、全身道路に投げ出される、そこへ車が来るかも知れない「危機一髪の瞬間」・・・体に故障がないときなら何でもないことでも、一旦、不自由になると、予測もつかない危険や大層が、次々と押し寄せてくることに気づき、乙武さんは、その数十倍の不自由と日夜向き合っておられるのだと、思いました。
痛いながらも、午前中、「“人を育てる唄”としてのわらべ唄」の講演を受け、昔の人子育ての知恵を学びました。わらべ唄にも、遊び唄・呼びかけの唄・はやし唄などがあり、赤ちゃんの遊び唄の「うんこ語り」「にぎにぎにぎ」「あぷー」「あわわわわ」「れえろれえろれえろ」のもつ子どもへの願いや生きる知恵満載のご講演を聴いて、具体的で感激しました。これから、さらに「64の手習い」をしていこうと思うに至りました。またぞろ、途中で、棒が折れるかも知れませんが・・・。ここで下手な句と詩を・・・。
「わらべ唄」との出会いから
今どきの 子育てに知恵 わらべ唄
わらべ唄 昔の知恵を 運ぶ冬

子どものまわりの馬鹿四人 
子どもが生まれりゃ 三人の馬鹿が生まれるど
おっかあは 元々 馬鹿だべ
そこへ おっとうだろ おばぁだろ おじぃだろ
合わせて 四人の馬鹿が
赤ちゃんに 一生懸命になるだべ
一生懸命 赤ちゃんに向き合う
馬鹿一人 に加えて 馬鹿三人
赤ちゃんは 馬鹿四人に 囲まれて大きくなる
いいことだべな 素晴らしいことだべな
赤ちゃんも そうして大きくなって 大人になって 親になって
子どものために 馬鹿になるだど・・・

※お断りとお願い: この詩は、私がご講演に触発されて、自分なりに解釈を加えて書きました。この詩の場合、「馬鹿」を『火事場の馬鹿力』で使う「馬鹿」のように一生懸命な人間の様子を表す言葉として使っていますので、侮蔑的にではなく使っていますので、誤解のないようにお願いします。それと、蛇足ですが、馬鹿四人を、広く、いろいろな世代の大人、の気持ちで書きました。私流の方言(もどき)で、少しけったいですが、標準語なら伝え切れないような、柔らかい響きで言いたくて、(もどき)を自覚しつつ、こういう表現にしました。けったいですが、言いたいことをお酌み取り下されば、うれしいです。よろしくお願いします。
13年前の1995(平成7)年のきょう午前5時46分、「阪神淡路大震災」が発生し、多くの人の命が奪われ、建造物が損壊しました。震災を風化させないよう、亡くなった人たちのことが語り継がれ、将来への備えの努力についての思いが様々に語られ深くなる日でした。
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボク が目指しているのは、心のバリアフリー。
(なぜ、今、社会で、人間同士、たとえば親子で、教師と生徒の間で、友だち同士で、バリヤーを持っているのか?)
みんな本当は、他人を必要としているが、恐がって、かかわりを持ちきれていない。自分に自信が持てなくて、なお、他人に批判されることを恐れている。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
(明日につづく)
話は変わりますが、今朝(ブログ発表は17日だから昨日の朝になりますが、実際の作業は16日にしていますので本日の朝・・・どうでもいいことですが・・・)、道路のちょっとした段差につまずいて、しこたま、左胸を打ちました。だんだん痛くなって、今、左手を上げ下げするたびに痛みが走る、ややですが、不自由な状態でパソコンに向かっています。
体が不自由になると、今まで気づかなかったことに気づいてきます。動くたびに痛みが走り、ちょっとしことをするのが大層で、億劫になります。また高齢になって、足が上がっているつもりでも上がっていない、だからちょっとした段差でつまずく。転んで、全身道路に投げ出される、そこへ車が来るかも知れない「危機一髪の瞬間」・・・体に故障がないときなら何でもないことでも、一旦、不自由になると、予測もつかない危険や大層が、次々と押し寄せてくることに気づき、乙武さんは、その数十倍の不自由と日夜向き合っておられるのだと、思いました。
痛いながらも、午前中、「“人を育てる唄”としてのわらべ唄」の講演を受け、昔の人子育ての知恵を学びました。わらべ唄にも、遊び唄・呼びかけの唄・はやし唄などがあり、赤ちゃんの遊び唄の「うんこ語り」「にぎにぎにぎ」「あぷー」「あわわわわ」「れえろれえろれえろ」のもつ子どもへの願いや生きる知恵満載のご講演を聴いて、具体的で感激しました。これから、さらに「64の手習い」をしていこうと思うに至りました。またぞろ、途中で、棒が折れるかも知れませんが・・・。ここで下手な句と詩を・・・。
「わらべ唄」との出会いから

わらべ唄 昔の知恵を 運ぶ冬





子どもが生まれりゃ 三人の馬鹿が生まれるど
おっかあは 元々 馬鹿だべ
そこへ おっとうだろ おばぁだろ おじぃだろ
合わせて 四人の馬鹿が
赤ちゃんに 一生懸命になるだべ

一生懸命 赤ちゃんに向き合う
馬鹿一人 に加えて 馬鹿三人
赤ちゃんは 馬鹿四人に 囲まれて大きくなる
いいことだべな 素晴らしいことだべな
赤ちゃんも そうして大きくなって 大人になって 親になって
子どものために 馬鹿になるだど・・・


※お断りとお願い: この詩は、私がご講演に触発されて、自分なりに解釈を加えて書きました。この詩の場合、「馬鹿」を『火事場の馬鹿力』で使う「馬鹿」のように一生懸命な人間の様子を表す言葉として使っていますので、侮蔑的にではなく使っていますので、誤解のないようにお願いします。それと、蛇足ですが、馬鹿四人を、広く、いろいろな世代の大人、の気持ちで書きました。私流の方言(もどき)で、少しけったいですが、標準語なら伝え切れないような、柔らかい響きで言いたくて、(もどき)を自覚しつつ、こういう表現にしました。けったいですが、言いたいことをお酌み取り下されば、うれしいです。よろしくお願いします。
13年前の1995(平成7)年のきょう午前5時46分、「阪神淡路大震災」が発生し、多くの人の命が奪われ、建造物が損壊しました。震災を風化させないよう、亡くなった人たちのことが語り継がれ、将来への備えの努力についての思いが様々に語られ深くなる日でした。