昨日、ボーリズ学園での
アンネ・フランク展
に行きました。


懐かしくさと喜びでで、鑑賞させて頂きました。
映画「アンネの日記」が公開されたのが、
1959(昭和34)年・・・。


私が、高校に入った年で、
京都の私の高校では、
校内で、警察官職務執行法の改正問題の研修会があったり、
1960年、日米安保改定で全国的に、安保反対デモがあり、
校内の生徒総会でも、安保問題を議論し、
それに、便乗?して、授業ボイコットをしたり、
蜷川革新府政の影響もあって、
問題意識が強く、モノ申す高校生が一杯、居ました。
その一人の私が、映画好き少年で、
映画「アンネの日記」に感動して、夜道を帰途に着きました。


アンネ・フランクが、遺したもの・・・
戦争がもたらす迫害・差別が風化しつつある最近
ボーリズ学園での
アンネ・フランク展は、時宜を得た好企画で、
多くの見学者が、熱心に鑑賞されてました。

その上、私は、
学園の先生が弾かれて居た、
懐かしい足踏み式オルガンを、
先生にお願いして、弾かせて頂きました。
恒例(?笑)の厚かましいクセ、満載(^^;)ですぅぅぅ~~~(^^;)


アンネの言いたかったことを、
ブログで伝えたいと、記事収集して、
力不足ですが、今号を作成しました。

HP アンネフランク展「希望の未来」です。
http://galileechurch.holy.jp/AnneFrank150707_0716/AnneFrankExibit2015.pdf


私のブログでも、
「アンネの日記」に関して、思いを述べて居ます。
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=a7966d5befee3936d646d7184a7cfd0389cce3d8&search=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98

http://poeny.shiga-saku.net/e1164849.html

http://poeny.shiga-saku.net/e1165685.html


戦後70年、
アンネの思いを、受け止め伝えなければ、
また、アンネのような、
夢を途中で絶たれる子どもたちが、
       増えて行きます。

  

昨日、ブログ発信の準備を進めている
眼前のテレビで、
トラップ一家の次女マリアさんが
99歳でお亡くなりになった

      ことを報じています。


映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ一家
その次女のマリアさん、99歳!


1965(昭和40)年、東京オリンピックの翌年、
若きお巡りさんだった私は、非番の日に、元カノと
 (当時は、元カノ、とか、元カレ、とかいう言葉はアリマセンでしたが・・・kao10
映画「サウンド・オブ・ミュージック」

     を映画館で観て、感動!!!
        (当時は、DVD、なんてものは無く、“立ち見”もある、満員の映画館でが定番でした・・・)
     彼女と熱く語り合いました。



1938年 (私が生まれる4年前)、
ナチスを逃れてオーストリアから米国に亡命し、
家族合唱団として人気になったトラップ一家。

一家の話は
1965年にジュリー・アンドリュースさん主演で映画化されました。



それから以後、
♪ ドレミの歌 ♪ や ♪ エーデルワイス ♪ ♪ サウンド・オブ・ミュージック ♪
は、私の愛唱歌になり、教員時代、生徒たちとよく歌いました。
そして、今、
    キーボードで弾いて、グスンと涙ぐんで居ますicon10icon10icon10


トラップ一家の悲劇を繰り返さないためにも、
世界の、日本の
     進むべき“道”は?!!! 



そして、いま、
日本の図書館で、蔵書
「アンネの日記」のページが破られている現実、

アンネ・フランクさんも、
マリアさんも、
  どう見詰めておられるでしょうか??!




因みに、1959(昭和34)年、私、高校一年生
ナチスに迫害されたユダヤ人少女の日記も読み、
映画「アンネの日記」も観て、
   心、焦がして、
当時、
盛んだった、市民運動・学生運動に、
プロ野球では、長嶋・王・榎本・山内選手・杉浦・稲尾投手の活躍に、
橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦さんの元祖御三家、
吉永小百合さんの、映画「キューポラのある街」に、
青木光一さんの ♪ 柿の木坂の家 ♪ に、
   胸熱くする、多感な高校生期、思春期を過ごして居ました。



あれから半世紀!!! 
いつか、
天国で、トラップ一家と再会して コラボ ??^^
アンネさんにも、お話しを聴きたいkao_01!!!
  

Posted by 夢想花 at 00:56Comments(4)名もなき孤老の訴え生きる
kao11知りませんでした。感銘を受けました。ユダヤ人の子ども2500人を救ったと言われるイレーナー・センドラーという女性を・・・。昨夜放映されたアンビリバボーというテレビ番組で、歴史に埋もれていたイレーナー・センドラーを掘り起こし、「ビンの中の命」という演劇にして世界に訴えたアメリカの田舎町の4人の女子高校生のことが報じられていました。


          アン・ビリバボー・・・
イレーナー・センドラー
        ・・・「ビンの中の命」


 若い頃から、私はアンネ・フランクという少女を描いた映画「アンネの日記」を観て、ナチス・ドイツに青春と人生をねじ曲げられ命を奪われた多くのユダヤ人の悲劇に衝撃を受けました。そして、そしてチャップリンの「独裁者」という映画を観て共感し、さらに、多くのユダヤ人の命を救った日本の外交官杉原千畝の「命のピザ」の発行や映画「シンドラーのリスト」にも、心を動かされてきました。

  このアドレスを、ぜひ、クリックしてください。

番組「アン・ビリバボー」の中の「瓶の中の命」のHPのアドレスです。
http://wwwz.fujitv.co.jp/unb/contents/prevfrm.html

「イレーナー・センドラー・・・ビンの中の命」の記事のアドレスです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC


いま、ガザで砲撃をしているイスラエルは、ユダヤ人が永い迫害を越えて建国した国です。歴史の悲劇、歴史の教訓から、人間は何を学ぶのか? アン・ビリバボーを観ながら、考えさせられました。

 終わりに、98歳で亡くなったイレーナー・センドラーの晩年の言葉を紹介します。

・・・「“英雄”という言葉で呼ばれることに私は大きな抵抗を感じます。実は私はその反対なのですから。私はほんの少しの子供たちしか助けることができなかったことで良心の呵責にさいなまれて生きつづけているのです。」   そして

「最後は、愛が勝つと信じています。」 
 ・・・と。


※ ここでさらに、夢想face08花にもコメントさせて頂きますと・・・
力を信奉する人は、愛や善意や信頼は、青臭い議論だと言って、嘲ります。しかい、永い人類の歴史で、何やかや言っても、愛を大切にする方向に歴史は動いてきているのではないでしょうか? 憎しみの連鎖は、一体、何が止めるのでしょうか?
 
  

Posted by 夢想花 at 00:07Comments(2)生きる
QRコード
QRCODE
Information
ログインはこちら
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 27人
プロフィール
夢想花
夢想花
 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
 このブログの2009年6月12日号を見て下さ~い!

クリックで救える命がある。     
オーナーへメッセージ