感動に文章エンドレス、そして強制終了
        デジタルとアナログ?

 昨日、体操の北京五輪代表決定競技会を兼ねたNHK杯の大会男子の部のテレビ中継を見ました。選手の鍛えられたワザ、そして肉体に目を見張りました。鉄棒の遙か上に振り上がって(「飛び上がって」ではないし、「舞い上がって」でもない。従って、「振り上がって」・・・)上空に自身を放り投げ、上空で身を捻り、複雑に回転させ、おまけに両腕を交差させて、地球の引力の法則で身が降りて両手が鉄棒に触れた途端にしっかりと両手の指で鉄棒を掴み、引き続いて、連続のワザをハイ・スピードで繰り広げ、最後は、幾重にも身を捻り、回転させ、それでもバランス感覚を崩さすに、最後の最後、両足でしっかりと、少しは蹌踉(よろ)めきつつも、床(マット)の上に立つ。どれほど、形容詞を尽くしても、筆舌に尽くせない動きの連続で、見る人の目を奪い(私は、“完全”に奪われました)ます。

 以前、何十年か前、「ウルトラC」がどうのこうの言っていた時期もありましたが、その時から想像のできない進歩、チョー困難化・複雑化です。当時、体操のワザについて、スポーツかアクロバットか、という議論は若干あったように記憶していますが、今回の体操競技には、そんな議論がどこかに吹っ飛んで仕舞うほど、圧倒的な迫力が、眼前に展開(テレビ越しですが・・・。会場にいたら、選手の息づかい・表情・仕草・筋肉の痙攣みたいなものや、それをケアーするマッサージ等も見えるだろうと、会場の雰囲気を想像しています・・・)されていました。

 床運動でも、鞍馬でも、筆舌に尽くせない動きの連続。私が、一生かかっても、二生かかっても、三生かかっても(“二生”とか“三生”、、、こんなことがあるのかな、」と一方で思いつつ・・・)到底できないワザが繰り広げられていました。

 ところで、この文を書きながら、超速カメラの映像でしか表現できないようなことを文章で表現することの難しさを感じています。デジタルをアナログに無理矢理返すようなものです。ですが、選手のこれまでの努力・鍛錬は、小さな小さなアナログをこつこつこつこつ、ああでもない、こうでもない、ああしよう、こうしようと積み上げてきたものなのでしょうネ。

 私も、レベルはかなり違い、種目も違いますが、中年過ぎから熱中した硬式テニスでも、一杯のアナログを工夫して積み重ねました。テレビを凝視して、ボルグ選手やイワン・レンドル選手のワザを盗もうとし、それでも、はたと“遠い現実”に気づかされて、それでも彼らのワザや精神状態を“解説(?)”して悦に入ったりしてきました。ですが、今も脱却できない我が身の“メタボ”(当時は、そんな言葉は一般的ではなかったですが・・・・あったかどうかは知りません)から脱却できず、それ故、ウィンブルドンのコートは、遠いとおい、チョー遠い世界のことでした。(「デジタル」と「アナログ」・・・こんな言葉の使い方でイイノカナ? ですが、それを使いたくなる感動の一端をごご理解ください。)

 ですが、これほどまでに、選手を鍛え、駆り立てる体操競技、しかもどんどん若い選手が輩出してくる、競技の魅力は何でしょうね!?。。。 分かるようでもあるし、その人でしか分からないことのようでもあるし、人間の持つ可能性や魅力がいっぱい繰り広げられていました。競技を終えた選手たちは、顔はどこにでも見かける優しい笑顔の青年、だけど肉体は筋骨隆々・・・先日のブログで失いつつある、と私メが嘆いた、気は優しくて力持ちの「金太郎さん」や「桃太郎さん」が一杯いました。
 ・・・文章が、限りなくエンドレスで続きそうですので、えいっと“強制終了”させちゃいます。ご静聴、有り難うございました。
  

Posted by 夢想花 at 02:08Comments(0)その他雑感など
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