「母の日」に寄せて、いささか照れくさいのですが、詩(もどき)を・・・。UPするかどうか躊躇且つ逡巡しましたが、エエい! 勇気を出して、載せちゃいます。
母
歌も 文句も 同じ口から
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いていた
怖かった うるさかった
だが 小学校の高学年まで 一緒の布団で寝ていた
明治生まれ
18年前 89歳でこの世を去った母
戦後 私がものごころついた昭和20年代
父親が病気がちで いつも家にいた
母が 外へ 働きに出ていた
6人兄弟の末っ子
姉3人 兄2人
既に 3人が他界し 残されたのは姉2人と私
父は 小6の時に 死に
母が 女手ひとつで 社会の波に 立ち向かった
そして最後は
母と私だけになった家に 妻が来て
それから 20年 姑と嫁
妻も よく辛抱し 面倒を見て
母 晩年は 妻に「お母ちゃん」と呼ぶようになった
孫もいて 友もいて
幸せな老境のはず
だが
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてた
怖さは薄れたが うるささは相変わらず
明治人の気骨
明治・大正・昭和の 困苦と戦乱を生きてきて
ちょっとしたことで講釈を垂れ
嫁に文句 私に文句 孫に文句 だが
ちょっとしたことで涙ぐむ
生きている時 そんな母に反発を覚え
47歳の時 母他界 不遜にも若干の解放感
だけど今
私がまるで 母に「そっくり」
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてる
そして それから お節介
母
歌も 文句も 同じ口から
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いていた
怖かった うるさかった
だが 小学校の高学年まで 一緒の布団で寝ていた
明治生まれ
18年前 89歳でこの世を去った母
戦後 私がものごころついた昭和20年代
父親が病気がちで いつも家にいた
母が 外へ 働きに出ていた
6人兄弟の末っ子
姉3人 兄2人
既に 3人が他界し 残されたのは姉2人と私
父は 小6の時に 死に
母が 女手ひとつで 社会の波に 立ち向かった
そして最後は
母と私だけになった家に 妻が来て
それから 20年 姑と嫁
妻も よく辛抱し 面倒を見て
母 晩年は 妻に「お母ちゃん」と呼ぶようになった
孫もいて 友もいて
幸せな老境のはず
だが
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてた
怖さは薄れたが うるささは相変わらず
明治人の気骨
明治・大正・昭和の 困苦と戦乱を生きてきて
ちょっとしたことで講釈を垂れ
嫁に文句 私に文句 孫に文句 だが
ちょっとしたことで涙ぐむ
生きている時 そんな母に反発を覚え
47歳の時 母他界 不遜にも若干の解放感
だけど今
私がまるで 母に「そっくり」
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてる
そして それから お節介