「母の日」に寄せて、いささか照れくさいのですが、詩(もどき)を・・・。UPするかどうか躊躇且つ逡巡しましたが、エエい! 勇気を出して、載せちゃいます。

          母
     歌も 文句も 同じ口から


歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いていた

怖かった うるさかった
だが 小学校の高学年まで 一緒の布団で寝ていた

明治生まれ
18年前 89歳でこの世を去った母

戦後 私がものごころついた昭和20年代
父親が病気がちで いつも家にいた
母が 外へ 働きに出ていた

6人兄弟の末っ子
姉3人 兄2人 
既に 3人が他界し 残されたのは姉2人と私

父は 小6の時に 死に
母が 女手ひとつで 社会の波に 立ち向かった


そして最後は 
      母と私だけになった家に 妻が来て
          それから 20年 姑と嫁
妻も よく辛抱し 面倒を見て
母 晩年は 妻に「お母ちゃん」と呼ぶようになった
孫もいて 友もいて
幸せな老境のはず

だが 
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてた

怖さは薄れたが うるささは相変わらず
明治人の気骨
明治・大正・昭和の 困苦と戦乱を生きてきて
ちょっとしたことで講釈を垂れ
嫁に文句 私に文句 孫に文句  だが
ちょっとしたことで涙ぐむ

生きている時 そんな母に反発を覚え
47歳の時 母他界 不遜にも若干の解放感


だけど今 
私がまるで 母に「そっくり」
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてる
そして それから お節介

  

Posted by 夢想花 at 00:58Comments(0)その他マイ・詩歌など

2008年05月10日

澄んだ水を・・・

 一昨日になりますが、「NEWS ZERO」というテレビの報道番組で、サッカー選手を現役引退した中田英寿さんの、世界各地を見て歩きの記録が報じられていました。このブログの4月18日号でも触れましたが、彼は、引退後、世界各地を自分探しの旅をして、自分がやるべき何かを発見しつつあるようです。以下、番組を見ての、ややうろ覚え気味の再現(?)および感想です。


       僕が見た、この地球。
           澄んだ水を・・・

 人間の住む地球・世界にはさまざまな環境がある。それは「自然(緑)の環境」だけでなく「社会的・政治的環境」がある。世界各地を見て、人々の世界を見て経験して、さまざまな環境について、もう一歩前へ踏み出して、考えていくことの大切さに気づいていった。彼は、サッカーを通して、それを人々に提起していきたいと言う。

 例えば、砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の大地に立つ。一面見渡す限りの砂漠。女性は4㎞ほど離れた所から、水を汲んで運んでくる、という。。。灼熱の太陽、私たち日本に住んでいる人間にはあって“当然”の“水”を求めて、歩く。。。灼熱の太陽の下、歩いて水くみ場に行き、水を汲んで、桶に水を入れ、その桶を頭に乗せて、歩いて帰ってくる。背中には、赤ちゃんをおぶって・・・。こうした生活を続けている。
 こうした地域では、水は“貴重品”。井戸を掘っても浅くしか掘れなかった。その井戸からは、濁った水しか手に入らない。子どもたちは、それを飲んで下痢をする。水は、濁ったもの、と思い込んでいて、“澄んだ水”を知らない。
 ここに、日本とユニセフの支援で、地中深く、掘削した井戸から、“澄んだ水”が汲めると言う。この井戸で、人々の生活は変わっていく。この井戸の水脈発見と掘削のためには、人手と技術と経費がいる。

 中田さんは、サッカーの試合を企画して、それぞれにできる何かを訴えて行きたい、と言う。それが「プラス ワン」。

 旅のさまざまを収録したドキュメント「僕が見た、この地球。」が、6月2日の午後9時30分から放映されるそうです。彼の行動と訴えを、見て考えて、一人ひとりが「環境」に対して出来ることを、まずひとつから始めていきましょう・・・。まずひとつから・・・と。


次のアドレスをご参照ください。

http://www1.ntv.co.jp/zero/nakata/

http://www1.ntv.co.jp/zero/oshirase/2008/05/post_15.html

※ 昔、「ピンポン」、今「ピンポンパンだ」外交。昔は、ピンポンの球の行方に、世界は、日本中の人々は、固唾を呑んで見守りました。ピンポンの球の重さが語られました。昔、パンダは日本中を熱狂させました。今、ピンポンの球は軽く台上を行き交い、今、パンダには、全く罪はないけれど、何億円かかるか分からない経費の重さにため息が行き交っています。そうした中でも忘れてはならないことは、歴史の重さです。それも、明治以降の歴史だけでなく、太古の昔から、日中はどう交流してきたか? 私のブログを宣伝する訳でもないのですが、(実は、宣伝していますが・・・)、2月27・28・29日・3月1日号あたりを見ていただければ有り難いです。  

Posted by 夢想花 at 01:17Comments(0)共感・頑張って!

2008年05月09日

心配! 活性酸素

 きのうに続き、お送りします。

    心配! 活性酸素 
  紫外線 ハードな練習と試合 活性酸素



 伊達選手の活躍はうれしい。だけど、心配していることがある。それは、すごい日焼けと、伝えられるハードな練習と試合時間の長さ。私が、テニスに熱中したのは30台半ばから50台初め、今から30年前から15年前のことだった。夏のかんかん照りの日はもちろん、ハード・コートが町に普及した頃からは、冬はコート上の積雪をのけてまでもやったものだった。
 
 そんなに好きだったテニスなぜやめたのか、というと、技術と体力が伸びず、というより体に無理がきかなくなって、ほぼ同世代のテニス仲間に試合で“惨敗”に近い“完敗”をしたこともあるけれど、確か50台に入るか入らない頃から、「過度の紫外線の恐怖」や「活性酸素の身体へのワルさ」がテレビなどでも報じられるようになったことが大きかった。

 ずっと以前は、日焼けコンテストみたいなものもあって、日焼けが健康の証であるとか夏の美容の一つみたいに考えられていた。ところが今から15年ほど前から、そのようなことは、ぱたっと、報じられなくなった。

 ところが今、テニスの試合では、特に女子選手ではノー・スリーブのシャツが一般的で、伊達選手を見ても、肩から顔への日焼けがすごい。それにハードな練習と試合・・・37歳の彼女は、今は、表面的には対応できているけれど、体の方は相当“悲鳴”を上げているのではないかと、老婆心ならぬ“老爺心(?)”ながら心配している。

 紫外線もハードな練習や試合も、体内に活性酸素を蓄積するだろう。それが、後の病気に繋がることを心配している。余計なお世話だと、ウザく(無理矢理、若づくりの言葉!?)思われるかも知れないけれど、もし、伊達選手が私の娘・息子なら、何やかや、文句を言うだろう。適当にしとけヨ、とか、もっと体全身を覆うシャツや帽子や、紫外線防止のメガネをかけてプレイしろ、とか・・・。

 伊達選手への賞賛の言葉は多い。だけど、健康面からの注釈が、テレビなどでも、聞いたことがナイ! ひとこと、ふたこと、あってもイイのじゃないかな、とも強く思う。マラソン選手然り、ビーチ・バレー・ボール選手然り。男女を問わず、「花の命は短くて」・・・人生のある瞬間を輝かせることも意味あることだけれど、その人の存在が永く人の社会にメッセージや影響を与えて欲しいから、こそ、ヨケイな心配・懸念をしている。ほそ~くてもなが~く生きて
・・・いつもながら、お節介の弁、ご静聴、有り難うございました。

※ 実は、この文を書く数十分前、「NEWS ZERO」というテレビの報道番組で、中田英寿選手の、世界各地を見て歩きの記録が報じられていました。砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の“水”の確保のためには、「紫外線の恐怖」どころではない現実に衝撃をうけました。明日もしくは後日(最近、少しスタミナに ? ですので・・・)に続けます。。。。。

 なお、マリ共和国については、このアドレスをクリックして、ご参照ください。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%83%AA%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8  

Posted by 夢想花 at 00:44Comments(0)健康

2008年05月08日

復帰! 大活躍!

 今回も、爽やかで明快なスポ-ツの話を、分かりにくく(?)解説します。

           復帰! 大活躍!

 クルム伊達公子選手の復帰と大活躍は、うれしい。テニスを若干かじった私が、少し知ったかぶりで講釈すると、彼女のテニスにおける強さの秘訣は、相手から打たれてきたボールが自分のコ-トに着いて跳ね返るボールの上り際もしくはその軌跡の頂点で、ボ-ルをラケット面にあてて敵のコートへ返す「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」(私の造語? 命名)にある、と言えるだろう。

 普通は、敵から帰ってきたボールは、ノーバウンドで打ち返す「ボレー」や、高く上がったボールを敵のコートへ叩き込む「スマッシュ」以外は、自陣のコートでワンバウンドで帰ってきたボールの軌跡が下がり気味の時に打つ「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」(こんな言葉はないと思う。分かって貰いやすくしたための私の造語。インターネットで検索したら「ライジング・ショット」と書いてありました。)で、敵のコートへ打ち返す。他に、コートに着いて跳ね返ろうとするボールにラケット面をちょっこと当てて“反射”で敵陣へ返す打ち方(名前は忘れました。熱中当時は、よく「テニスの本」を読んで、理論学習したものですが・・・)と、「サーブ」(これは、“著名度”が高い)があります。

「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」が一般的であって、「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」で打ち返す選手はあんまりいない。敵からしたら、前者の場合は自分が打って、球が敵から返ってくるまでは若干の時間的余裕はあるが、ライジングの場合、敵からしたら、すぐに打ち返されて時間的余裕がなく、息つぐまもなく、右へ、左へ、前へ、後ろへ走り回される、ということになる。

 それなら、選手全員が、ライジングで打ったらイイやないか、ということになるかも知れないが、これがまた技術的にも難しいし、相当な反射神経とスピードとスタミナを必要とする。だから、必然的に、ダウン・・・ストロークが多くなる。

 だから、彼女は、反射神経とスピードとスタミナを維持し、向上させるために、これまた、相当な練習と体力錬磨をしてきたのだろう・・・。。。。。
少し、私のスタミナが切れ気味になってきましたので、明日もしくは後日に、“日没(スタミナ切れ?)による試合延長”とさせて頂きます。

  

Posted by 夢想花 at 00:12Comments(0)その他雑感など
      感動に文章エンドレス、そして強制終了
        デジタルとアナログ?

 昨日、体操の北京五輪代表決定競技会を兼ねたNHK杯の大会男子の部のテレビ中継を見ました。選手の鍛えられたワザ、そして肉体に目を見張りました。鉄棒の遙か上に振り上がって(「飛び上がって」ではないし、「舞い上がって」でもない。従って、「振り上がって」・・・)上空に自身を放り投げ、上空で身を捻り、複雑に回転させ、おまけに両腕を交差させて、地球の引力の法則で身が降りて両手が鉄棒に触れた途端にしっかりと両手の指で鉄棒を掴み、引き続いて、連続のワザをハイ・スピードで繰り広げ、最後は、幾重にも身を捻り、回転させ、それでもバランス感覚を崩さすに、最後の最後、両足でしっかりと、少しは蹌踉(よろ)めきつつも、床(マット)の上に立つ。どれほど、形容詞を尽くしても、筆舌に尽くせない動きの連続で、見る人の目を奪い(私は、“完全”に奪われました)ます。

 以前、何十年か前、「ウルトラC」がどうのこうの言っていた時期もありましたが、その時から想像のできない進歩、チョー困難化・複雑化です。当時、体操のワザについて、スポーツかアクロバットか、という議論は若干あったように記憶していますが、今回の体操競技には、そんな議論がどこかに吹っ飛んで仕舞うほど、圧倒的な迫力が、眼前に展開(テレビ越しですが・・・。会場にいたら、選手の息づかい・表情・仕草・筋肉の痙攣みたいなものや、それをケアーするマッサージ等も見えるだろうと、会場の雰囲気を想像しています・・・)されていました。

 床運動でも、鞍馬でも、筆舌に尽くせない動きの連続。私が、一生かかっても、二生かかっても、三生かかっても(“二生”とか“三生”、、、こんなことがあるのかな、」と一方で思いつつ・・・)到底できないワザが繰り広げられていました。

 ところで、この文を書きながら、超速カメラの映像でしか表現できないようなことを文章で表現することの難しさを感じています。デジタルをアナログに無理矢理返すようなものです。ですが、選手のこれまでの努力・鍛錬は、小さな小さなアナログをこつこつこつこつ、ああでもない、こうでもない、ああしよう、こうしようと積み上げてきたものなのでしょうネ。

 私も、レベルはかなり違い、種目も違いますが、中年過ぎから熱中した硬式テニスでも、一杯のアナログを工夫して積み重ねました。テレビを凝視して、ボルグ選手やイワン・レンドル選手のワザを盗もうとし、それでも、はたと“遠い現実”に気づかされて、それでも彼らのワザや精神状態を“解説(?)”して悦に入ったりしてきました。ですが、今も脱却できない我が身の“メタボ”(当時は、そんな言葉は一般的ではなかったですが・・・・あったかどうかは知りません)から脱却できず、それ故、ウィンブルドンのコートは、遠いとおい、チョー遠い世界のことでした。(「デジタル」と「アナログ」・・・こんな言葉の使い方でイイノカナ? ですが、それを使いたくなる感動の一端をごご理解ください。)

 ですが、これほどまでに、選手を鍛え、駆り立てる体操競技、しかもどんどん若い選手が輩出してくる、競技の魅力は何でしょうね!?。。。 分かるようでもあるし、その人でしか分からないことのようでもあるし、人間の持つ可能性や魅力がいっぱい繰り広げられていました。競技を終えた選手たちは、顔はどこにでも見かける優しい笑顔の青年、だけど肉体は筋骨隆々・・・先日のブログで失いつつある、と私メが嘆いた、気は優しくて力持ちの「金太郎さん」や「桃太郎さん」が一杯いました。
 ・・・文章が、限りなくエンドレスで続きそうですので、えいっと“強制終了”させちゃいます。ご静聴、有り難うございました。
  

Posted by 夢想花 at 02:08Comments(0)その他雑感など
QRコード
QRCODE
Information
ログインはこちら
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 27人
プロフィール
夢想花
夢想花
 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
 このブログの2009年6月12日号を見て下さ~い!

クリックで救える命がある。     
オーナーへメッセージ