きのうの記事に関して、理屈っぽい自作の詩(もどき)をご披露します。 私のような浅学が、ブログでいかにも分かったようにエラそうにいっていいのだろうか、と躊躇しています。ですが、博学でも隠居に籠もっているよりは、限られた命、浅学でも少しでも社会にお役に立ってご恩返しできれば(ひょっとしたら、“ご恩返し”どころか“押しつけ・ご迷惑”?)、と蛮勇を発揮し、羞恥心を排して、ご披露させていただきます。
子どもたちへ
人間は 人間の後輩を
育ててきた だから君も・・・
ヒトは 学習しなければ「人間」になれないこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 妊娠期間が短くて
だから生まれた時は 極端に 頼りなくて
生まれてすぐ サルやウマらしくなる
サルやウマなどと比べてみても
生活力が ほとんどないこと
だから人間は 赤ちゃんのときは
まわりの人に支えてもらわなくては
生きていけないこと
だから 本当に 赤ちゃんは
頼りなくて弱い存在であること
だけど人間の赤ちゃんが 強くてしたたかなのは
頼りないその時期に まわりの人から
人間としての『知恵』を いっぱい学びつづけること
だから人間の赤ちゃんは
3才ごろまでは チンパンジーの生活力に
負けているけど
やがて 彼を追い抜かすほど
いっぱい知恵と生活力をもっていくこと
それから人間はふるさとや家庭や学校で学び続け
どんどん 人間としての 知恵と生活力をつけて
どんどんどんどん 人間らしく なっていくこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 『学ぶ』ということが
『人間』になっていく『条件』であること
サルやウマは 生まれついてサルやウマだけど
人間は 学び続けて やっと『人間』になれること
どんなことでも 学ぶ値打ちのあること
これだけの文化をつくってきた 人間の歴史には
オレは人間だ ワタシは人間だ
と叫ぶ声がいっぱい詰まっていること
君が やがて成人して 結婚して 人の親になって
頼りない赤ちゃんや子どもたちに
いっぱい 人間としての知恵と生活力を
つけてあげるための 大人になっていくこと
人間の歴史はそうしたことをずっと続けてきたこと
より人間らしく生きていってほしいために
人間は 人間の後輩を 育てて きたこと
そして 君もやがて 君の後輩を 育てて いくこと
※ 上の詩(もどき)を載せながら、一方では、今、日本では、「子育てのあり方」以前の問題として「子どもの人口減少問題」が深刻になってきていることに、心を痛めています。生き方の多様化、結婚しない若者の増加、結婚して家庭を持ちにくい社会・経済情勢・・・このことについても、次のアドレスを開いてみて頂きたく思っています。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/decrease_of_children/
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/musashi/index.htm
※ 妻が還暦を迎え、還暦祝いをイヤがっていましたが、昨日、息子の誕生日祝いも兼ねて、小宴を開きました。20代半ばの息子も未婚で、「早く結婚して、孫を見せてくれ!」とハッパをかけたら、苦笑していました。息子のいとこも未婚者が何人かいて、心配だという話をしました。日本の未来が、本当に心配です。・・・ということを、小宴でも愚痴りました。
子どもたちへ
人間は 人間の後輩を
育ててきた だから君も・・・
ヒトは 学習しなければ「人間」になれないこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 妊娠期間が短くて
だから生まれた時は 極端に 頼りなくて
生まれてすぐ サルやウマらしくなる
サルやウマなどと比べてみても
生活力が ほとんどないこと
だから人間は 赤ちゃんのときは
まわりの人に支えてもらわなくては
生きていけないこと
だから 本当に 赤ちゃんは
頼りなくて弱い存在であること
だけど人間の赤ちゃんが 強くてしたたかなのは
頼りないその時期に まわりの人から
人間としての『知恵』を いっぱい学びつづけること
だから人間の赤ちゃんは
3才ごろまでは チンパンジーの生活力に
負けているけど
やがて 彼を追い抜かすほど
いっぱい知恵と生活力をもっていくこと
それから人間はふるさとや家庭や学校で学び続け
どんどん 人間としての 知恵と生活力をつけて
どんどんどんどん 人間らしく なっていくこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 『学ぶ』ということが
『人間』になっていく『条件』であること
サルやウマは 生まれついてサルやウマだけど
人間は 学び続けて やっと『人間』になれること
どんなことでも 学ぶ値打ちのあること
これだけの文化をつくってきた 人間の歴史には
オレは人間だ ワタシは人間だ
と叫ぶ声がいっぱい詰まっていること
君が やがて成人して 結婚して 人の親になって
頼りない赤ちゃんや子どもたちに
いっぱい 人間としての知恵と生活力を
つけてあげるための 大人になっていくこと
人間の歴史はそうしたことをずっと続けてきたこと
より人間らしく生きていってほしいために
人間は 人間の後輩を 育てて きたこと
そして 君もやがて 君の後輩を 育てて いくこと
※ 上の詩(もどき)を載せながら、一方では、今、日本では、「子育てのあり方」以前の問題として「子どもの人口減少問題」が深刻になってきていることに、心を痛めています。生き方の多様化、結婚しない若者の増加、結婚して家庭を持ちにくい社会・経済情勢・・・このことについても、次のアドレスを開いてみて頂きたく思っています。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/decrease_of_children/
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/musashi/index.htm
※ 妻が還暦を迎え、還暦祝いをイヤがっていましたが、昨日、息子の誕生日祝いも兼ねて、小宴を開きました。20代半ばの息子も未婚で、「早く結婚して、孫を見せてくれ!」とハッパをかけたら、苦笑していました。息子のいとこも未婚者が何人かいて、心配だという話をしました。日本の未来が、本当に心配です。・・・ということを、小宴でも愚痴りました。
きょう、5月5日は「子どもの日」。この日に寄せて、「ドロシー・ロー・ノルト」というアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩をご紹介します。この詩は、スウェーデンの中学校の社会科の教科書「あなた自身の社会」(アーネ・リンドクウィスト,ヤン・ウェステル著,川上邦夫訳:新評論から出版:155頁)に収載されています。この詩の作者、ドロシー・ロー・ノルト(Dorothy Law Nolte)は、この教科書では、ノルトはホルトとなっています。
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。
五月晴れ 夢をがぶりと
昨日は、連休中だというのに、ある町興しのための会議に出席して、聞き出し上手な若い人に対して、例の如く、生意気且つお節介に、人生訓なり時評みたいなものをノタマッちゃいました。実際は、ノタウチまくったわが人生では、とても恥ずかしくて言えないようなことをエラそうに講釈しちゃいました。曰く
★ 男の子の“漂流”の問題
★ 「科学性」と「大衆性」のススメ
★ クールな目と温かい腕と強い足で・・・
★ 反省・努力・感謝
★ 言葉の「行政改革」を・・・
なんちゃって・・・。思いやりのある彼らは、神妙に、聞いてくれました。アリガトウ。
夕方、妻に引かれて、借りている畑詣ででした・・・。畑に居合わせた近所のおじさんと、「好きなことやったら、時間忘れて、やるのになぁ」と、共感を求めつつ、雑草取りをしました。
犬は、午前やや元気、夕方はややバテテイマシタ。そんな一日を振り返って
五月晴れ 夢をガブリと 天も肥ゆ
<やや蛇足> 肥えるのは、秋空だけではナイんですからっ!? 初夏の空も、真夏の空も、真冬だって、空はさまざまに肥えているかも・・・。空が肥えるのは、日本の空だって、中国の空だって、チベットの空だって、イラクの空だって、ソマリアの空だって、一部政治家や一部官僚が私腹を肥やすより、きっと、もっと、イイだろうと、、、、、胸膨らませて、例によって訳の分かりにくい俳句(もどき)を創っちゃいました。
昨日は、連休中だというのに、ある町興しのための会議に出席して、聞き出し上手な若い人に対して、例の如く、生意気且つお節介に、人生訓なり時評みたいなものをノタマッちゃいました。実際は、ノタウチまくったわが人生では、とても恥ずかしくて言えないようなことをエラそうに講釈しちゃいました。曰く
★ 男の子の“漂流”の問題
★ 「科学性」と「大衆性」のススメ
★ クールな目と温かい腕と強い足で・・・
★ 反省・努力・感謝
★ 言葉の「行政改革」を・・・
なんちゃって・・・。思いやりのある彼らは、神妙に、聞いてくれました。アリガトウ。
夕方、妻に引かれて、借りている畑詣ででした・・・。畑に居合わせた近所のおじさんと、「好きなことやったら、時間忘れて、やるのになぁ」と、共感を求めつつ、雑草取りをしました。
犬は、午前やや元気、夕方はややバテテイマシタ。そんな一日を振り返って
五月晴れ 夢をガブリと 天も肥ゆ
<やや蛇足> 肥えるのは、秋空だけではナイんですからっ!? 初夏の空も、真夏の空も、真冬だって、空はさまざまに肥えているかも・・・。空が肥えるのは、日本の空だって、中国の空だって、チベットの空だって、イラクの空だって、ソマリアの空だって、一部政治家や一部官僚が私腹を肥やすより、きっと、もっと、イイだろうと、、、、、胸膨らませて、例によって訳の分かりにくい俳句(もどき)を創っちゃいました。
妙にマジメな所があって、今風に言うと「マジッすか?」とかKYとか呆れられ叱られそうですが、「憲法記念日」に寄せて、少し、理屈と講釈を申しますので、ご寛容におつきあい下さいますようお願いします。
偏狭から普遍へ 自分自身を
解放 していきましょう
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたい・・・
まずクイズをひとつ・・・「この文は、どこに載っている文ですか?」→→→→→賞品はありませんが、答えを言いますと、これは日本国憲法の前文の中の一 部です。この文の中の「偏狭と普遍」について特に申し上げたくて、書きました。
★・・・ 「日本国憲法!? ワーッむつかしい、堅苦しい」と敬遠する人もいます。が、じっくり読めば、国だけでなく、私たちの行動の指針となるような、貴重な考え方(理念)があちらこちらにあって、非常に参考になります。その中でも憲法前文は、私たちの生き方の指針になるようなことが、一杯詰まっています。「“偏狭”を地上から永遠に除去したい」とする考え方も、そのひとつです。
★・・・ 「偏狭」とは「かたよった狭い見方・考え方と、それによって起こされる政治的・社会的な主義主張や運動」と言えるでしょう。
かたよった狭い見方・考え方とは、広く世間で通用しないような、世界で通用しないような、正当な根拠のないジコチュウ(自己中心主義)な考え方です。例えば、ある民族は他の民族よりすぐれているとか、皮膚や目の色で優劣を決めつけたり、男性は女性より上であるべきだ、などという考え方です。「男にする」「男らしい」とか「女らしくしなさい」などという言い方も、この考え方の延長線上にあります。「男らしい、女らしい」ということよりも、まず「人間らしく」だと思うのですが・・・。
偏狭は、合理的な根拠もなく、勝手な思いこみで決めつけたりするのです。これは、大変危険なことで、こうした考え方を国や政治家が持っていきますと、戦争や差別や迫害を国がしていく、ということになりかねません。これまでの戦争もそうしたことを背景に起こされてきましたし、戦後制定された日本国憲法はそうしたことを反省して、日本の国は偏狭を地上から永遠に除去しようと国の内外に誓ったのです。そして、偏狭な考え方を基にして、専制も圧迫もしない、人の人格を無視して奴隷的に服従させたりしない、平和を維持するために努力するということをうたったのです。
★・・・ 偏狭を個人個人の生活にあてはめて考えますと、無茶な理屈で自分の意見を押し通すということになります。不合理な差別意識にとらわれて人を見ていると、結果的にまわりの人を苦しめることもあり、ひいては自分自身の人生を窮屈にします。例えば、結婚にしても、封建的な思想からくる家柄とか社会的地位で相手を選んで、相手への愛情とか優しさとかが後回しになるという“淋しい”人生になりかねません。病気したり、苦しいときに助け合うのは、愛情や優しさであって、家柄は決して“看病”してくれません。
★・・・ 偏狭の反対語は「普遍(ふへん)」です。人間は、誰でも、ともすれば自分に都合のよい自己チューな、かたよった見方をしがちです。時には、自分自身の考え方を反省して、世間や世界で通用する、まわりの人も納得する、理屈の通った(合理的)な見方を身につけていかなければ、自分自身が世間から浮いてしまう、自分だけが気づいていない“裸の王様”ということになりかねません。国も個人も“裸の王様”になって、国際社会で孤立したり、世間や家族からも相手にされなくなったら不幸です。また、最近は環境問題でも、自分の国さえよければ、自分の生活さえよければ、自分の時代さえよければ、という考え方では、地球や人類の壊滅的破滅をもたらす可能性があることが指摘されています。偏狭から普遍へ、かたよった自分自身をも苦しめかねない狭い考え方から、自分自身を“解放”して、広い大地でのびのびと・・・少し真面目に考えてみることも、味のあるゴールデンウイークかなと考えて書きました。ブログの3月1日号にも、形を変えてよく似たことを書いています。自己チューの多い昨今、同じようなことをくどくどと繰り返すお節介親父の弁を、ご寛容にお受け止め下されば有り難いです。
偏狭から普遍へ 自分自身を
解放 していきましょう
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたい・・・
まずクイズをひとつ・・・「この文は、どこに載っている文ですか?」→→→→→賞品はありませんが、答えを言いますと、これは日本国憲法の前文の中の一 部です。この文の中の「偏狭と普遍」について特に申し上げたくて、書きました。
★・・・ 「日本国憲法!? ワーッむつかしい、堅苦しい」と敬遠する人もいます。が、じっくり読めば、国だけでなく、私たちの行動の指針となるような、貴重な考え方(理念)があちらこちらにあって、非常に参考になります。その中でも憲法前文は、私たちの生き方の指針になるようなことが、一杯詰まっています。「“偏狭”を地上から永遠に除去したい」とする考え方も、そのひとつです。
★・・・ 「偏狭」とは「かたよった狭い見方・考え方と、それによって起こされる政治的・社会的な主義主張や運動」と言えるでしょう。
かたよった狭い見方・考え方とは、広く世間で通用しないような、世界で通用しないような、正当な根拠のないジコチュウ(自己中心主義)な考え方です。例えば、ある民族は他の民族よりすぐれているとか、皮膚や目の色で優劣を決めつけたり、男性は女性より上であるべきだ、などという考え方です。「男にする」「男らしい」とか「女らしくしなさい」などという言い方も、この考え方の延長線上にあります。「男らしい、女らしい」ということよりも、まず「人間らしく」だと思うのですが・・・。
偏狭は、合理的な根拠もなく、勝手な思いこみで決めつけたりするのです。これは、大変危険なことで、こうした考え方を国や政治家が持っていきますと、戦争や差別や迫害を国がしていく、ということになりかねません。これまでの戦争もそうしたことを背景に起こされてきましたし、戦後制定された日本国憲法はそうしたことを反省して、日本の国は偏狭を地上から永遠に除去しようと国の内外に誓ったのです。そして、偏狭な考え方を基にして、専制も圧迫もしない、人の人格を無視して奴隷的に服従させたりしない、平和を維持するために努力するということをうたったのです。
★・・・ 偏狭を個人個人の生活にあてはめて考えますと、無茶な理屈で自分の意見を押し通すということになります。不合理な差別意識にとらわれて人を見ていると、結果的にまわりの人を苦しめることもあり、ひいては自分自身の人生を窮屈にします。例えば、結婚にしても、封建的な思想からくる家柄とか社会的地位で相手を選んで、相手への愛情とか優しさとかが後回しになるという“淋しい”人生になりかねません。病気したり、苦しいときに助け合うのは、愛情や優しさであって、家柄は決して“看病”してくれません。
★・・・ 偏狭の反対語は「普遍(ふへん)」です。人間は、誰でも、ともすれば自分に都合のよい自己チューな、かたよった見方をしがちです。時には、自分自身の考え方を反省して、世間や世界で通用する、まわりの人も納得する、理屈の通った(合理的)な見方を身につけていかなければ、自分自身が世間から浮いてしまう、自分だけが気づいていない“裸の王様”ということになりかねません。国も個人も“裸の王様”になって、国際社会で孤立したり、世間や家族からも相手にされなくなったら不幸です。また、最近は環境問題でも、自分の国さえよければ、自分の生活さえよければ、自分の時代さえよければ、という考え方では、地球や人類の壊滅的破滅をもたらす可能性があることが指摘されています。偏狭から普遍へ、かたよった自分自身をも苦しめかねない狭い考え方から、自分自身を“解放”して、広い大地でのびのびと・・・少し真面目に考えてみることも、味のあるゴールデンウイークかなと考えて書きました。ブログの3月1日号にも、形を変えてよく似たことを書いています。自己チューの多い昨今、同じようなことをくどくどと繰り返すお節介親父の弁を、ご寛容にお受け止め下されば有り難いです。
全く、「世間様」と関係のない、私のブログへの思いを綴ってみました。あくまで、私の戯言でひとときの笑いをご提供したく、息抜きとして、苦笑混じりでお受け止め下さいますよう・・・。
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
ブログを始めて 4ヶ月余
手探りで ブログ界に 入り込み
写真を貼り付ける技術もなく
トラックバックがなんたるかも 分かっておらず
ただひたすら 文字を連ねて
絵文字を 滋賀咲くブログに お借りして
少しの愛想 少しの見やすさ目指す
だけど 今は 拓海くんの49日までは
せめてもの 絵文字の封印
文字を 大きく 分かりやすくを モットーに
詩や 俳句もどきで 目先変え
遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
休もう 休むタイミングを窺いながら
ずるずると しまりのない話の羅列
ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
いつまで続く ぬかるみぞ(?)
あわや ブログ中毒ブログ症候群の一歩手前(?)
いつもブログ記者の感覚で
世を見つめ
世のニュースに一喜一憂
そんな私の指定席
滋賀咲くブログの ランキング 200位前後
最高で 80何番まで
ランキングに感激し ランキングにややがっかり
だけど 今は やや居直って
200位圏内に 見え隠れ
それでいい それもありよと 慰めて
読者の寛容に 甘えてしまって
時代遅れの 愚痴 羅列
だけど 愚痴も大事
時代遅れも意味あることと
私の指定席 200番前後
それでも あるだけで 幸せと
世に言いたいことの かずかず 迷惑を顧みず
いつまで続く ぬかるみゾ
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
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だけど 今は 拓海くんの49日までは
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遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
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ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
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いつまで続く ぬかるみゾ