このブログの3月4日号で、歌舞伎界に挑戦する裸一貫の男たちのことに触れました。そこで、少し分野は違いますが、「裸一貫」と言えば、あのお笑い芸人の小島よしおさん・・・文字通りの裸一貫です・・・に因んだ話題をお送りしします。
「裸一貫」と言えば、小島よしおさん
そんなのカンケーねぇ!
(その1)
先日、明石家さんまさん司会の番組「さんま御殿」で、「そんなのカンケ-ねぇ!」で、今、大人気の小島よしおさん
が、自身の“一発屋”(で終わる)という世間の風評を気にして、次のようなことを言っていた。
「インターネットで、“小島よしお”とか“一発屋”でブログを検索すると、びやーっと一杯出てきますよ。ボクは、そのブログに、小島よしおも頑張っているから、一発屋で終わらないと思うよ、というコメントを入れるのです」と・・・。
それを聞いて、
思わず笑ってしまったが、同時に、彼も必死なんだ、文字通り「裸一貫」で頑張っているんだ、と改めて、彼の表情を見てしまった。そして、今までの一発屋と言われるお笑い芸人さんは、みんな裸一貫だった。が、わずかなチャンス必死につかんで、そしてテレビの画面から消えてしまった、を思い浮かべてしまう。あの人、この人と、あの人は今どうしているのかなぁ、さまざま思ったり・・・。
たまに、かつての超人気者一発屋さんがテレビに出てくると、何か、私の人生と引き比べて、私は一発の輝きも危ういものだったけど、なにか、不遇さの中で喘いでいるのが共通しているようで、妙に親近感が湧いてくる。
小島よしおさんの芸も、ドギツイことだったりするけど、私は、子どもにけっこう人気があることも納得かな、と思ってる。
私は、このブログでも、まだ批判力や判断力が未成熟な子どもたちには悪影響が出る可能性のあるお笑い芸やテレビ番組には、しばしば文句を言っている。それは「死ね」とかの相手を全否定する言葉や、容貌で人を評価してしまう、ような芸や発言には疑問を呈している。
そんなら、「そんなのカンケ-ねぇ!」は、どうなんねん?
小島よしおさんの「そんなのカンケ-ねぇ!」も、批判力や判断力が未成熟な子どもたちには悪影響を与え危険だ、先生の注意も「そんなのカンケ-ねぇ!」でハグラかしてしまう、という批判あることも承知している。
だが、こう考えている。「死ね」とか容貌をバカにする発言は、目の前に現実に被害者
がいる。
だけど、「そんなのカンケ-ねぇ!」は、たちまちには被害者がいない。というよりは、学校の先生や親とかいうような目上の人の言う
ことを、笑いでハグラかしてしまう、生きていく上での知恵というか、したたかさが窺われて面白いし、ホッとしたりする。なぜ?
(長くなりますので、「本日の主張」と言いながら、明日へつづきます)
「裸一貫」と言えば、小島よしおさん
そんなのカンケーねぇ!
(その1)
先日、明石家さんまさん司会の番組「さんま御殿」で、「そんなのカンケ-ねぇ!」で、今、大人気の小島よしおさん

「インターネットで、“小島よしお”とか“一発屋”でブログを検索すると、びやーっと一杯出てきますよ。ボクは、そのブログに、小島よしおも頑張っているから、一発屋で終わらないと思うよ、というコメントを入れるのです」と・・・。
それを聞いて、

たまに、かつての超人気者一発屋さんがテレビに出てくると、何か、私の人生と引き比べて、私は一発の輝きも危ういものだったけど、なにか、不遇さの中で喘いでいるのが共通しているようで、妙に親近感が湧いてくる。

私は、このブログでも、まだ批判力や判断力が未成熟な子どもたちには悪影響が出る可能性のあるお笑い芸やテレビ番組には、しばしば文句を言っている。それは「死ね」とかの相手を全否定する言葉や、容貌で人を評価してしまう、ような芸や発言には疑問を呈している。

小島よしおさんの「そんなのカンケ-ねぇ!」も、批判力や判断力が未成熟な子どもたちには悪影響を与え危険だ、先生の注意も「そんなのカンケ-ねぇ!」でハグラかしてしまう、という批判あることも承知している。
だが、こう考えている。「死ね」とか容貌をバカにする発言は、目の前に現実に被害者

だけど、「そんなのカンケ-ねぇ!」は、たちまちには被害者がいない。というよりは、学校の先生や親とかいうような目上の人の言う

(長くなりますので、「本日の主張」と言いながら、明日へつづきます)