花の言葉
テレビ番組「NEWS ZERO」のHPをいろいろクリックしていたら、華道家・假屋崎省吾さんの、花から学んだ言葉、「か・き・く・け・こ」が、載っていました。ちょっと、紹介させて頂きます。
「か」は 感謝
「き」は 緊張感
「く 」は くつろぎ
「け」は 決断
「こ」は 好奇心
私も、生意気ながら、それを真似して、
「あ」は 有り難う
「い」は イイ気持ち
「う」は うれしい
「え」は 笑顔で
「お」は お気に入りの人生を歩きたいなぁ
・・・ちょっと違うかな? ノー・天気の、私の言葉「あ・い・う・え・お」でした。
【補足? 蛇足?】 お気に入りの人生は、おそらく、「誰もの“夢”」。
“お気に入りの人生”を歩んでいるようで、歩んでいないようで、先人もサマザマ申されています。その一例
人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ
(徳川 家康)
毀誉褒貶の激しい徳川家康。すべて納得できる訳ではないけど、学べることも多い人物でした。
苦労して、人生の辛酸を嘗めて、初めて、“自分のお気に入り”が分かるのかも知れません。それに「怒り云々」というのは、「ぷっつん切れたらダメだよ」という意味にもとれますヨネ。私も、怒って、随分、失敗をしてきました。
また、西川きよしさんの言葉に
小さな事からこつこつと
と。何ごとも、小さなことから始まるのですよね。例によって、ひとことふたこと余分且つ迷走強引気味のワタクシでした。
なお、もし假屋崎省吾さんと徳川家康公と西川きよしさんの人生の一端を見たい、という方は、次のアドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%87%E5%B1%8B%E5%B4%8E%E7%9C%81%E5%90%BE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E3%81%8D%E3%82%88%E3%81%97
テレビ番組「NEWS ZERO」のHPをいろいろクリックしていたら、華道家・假屋崎省吾さんの、花から学んだ言葉、「か・き・く・け・こ」が、載っていました。ちょっと、紹介させて頂きます。
「か」は 感謝
「き」は 緊張感
「く 」は くつろぎ
「け」は 決断
「こ」は 好奇心
私も、生意気ながら、それを真似して、
「あ」は 有り難う
「い」は イイ気持ち
「う」は うれしい
「え」は 笑顔で
「お」は お気に入りの人生を歩きたいなぁ
・・・ちょっと違うかな? ノー・天気の、私の言葉「あ・い・う・え・お」でした。
【補足? 蛇足?】 お気に入りの人生は、おそらく、「誰もの“夢”」。
“お気に入りの人生”を歩んでいるようで、歩んでいないようで、先人もサマザマ申されています。その一例
人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ
(徳川 家康)
毀誉褒貶の激しい徳川家康。すべて納得できる訳ではないけど、学べることも多い人物でした。
苦労して、人生の辛酸を嘗めて、初めて、“自分のお気に入り”が分かるのかも知れません。それに「怒り云々」というのは、「ぷっつん切れたらダメだよ」という意味にもとれますヨネ。私も、怒って、随分、失敗をしてきました。
また、西川きよしさんの言葉に
小さな事からこつこつと
と。何ごとも、小さなことから始まるのですよね。例によって、ひとことふたこと余分且つ迷走強引気味のワタクシでした。
なお、もし假屋崎省吾さんと徳川家康公と西川きよしさんの人生の一端を見たい、という方は、次のアドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%87%E5%B1%8B%E5%B4%8E%E7%9C%81%E5%90%BE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E3%81%8D%E3%82%88%E3%81%97
それにしても
すごい スゴイ 凄い!
最近、ほんの少しですが、平日の朝の小学生の登校の際の、交差点での安全のための活動のお手伝いをしています。その交差点には、ご高齢のおじさんがずっと活動されていて、おじさんに聞きますと、「24年間、自治会のことで、1日だけ休んだ以外は、平日の朝は毎日立っている」とのことでした。おじさんは言います。「休んだ翌日に、子どもから、きのう来いひんやったやろう、と言われた」、と。 「わ~、すごい。とても真似できひんワ! 24年前の子どもが、挨拶しますやろ」と私。「さぁ、どうやろう」とおじさん。いつも「ああ、きょうも立ったはるなぁ」と遠目に見ていましたが、まさか、24年とは、しかもたった1日しか休んだことがないやなんて・・・、と絶句しました。
青信号で、子どもたちが渡り、「おはようさん」と声をかけますと、照れくさそうに挨拶する子、そうでない子、さまざまです。
それにしても、おじさんはすごい。スゴイ! 凄い! 私は、と言うと、仕事の合間しかできないとかその他言い訳尽くしの、俗っぽい理由がさまざま頭の中を駆け巡る、凡俗・凡庸な私ですが、それは置いといて、地域社会には、他にも朝・放課後と「スクール・ガード」をしておられる多くの高齢者の方がおられます。私の妻も、3年ほど「スクール・ガード」をしています。自身の生き甲斐もあるけれど、子どもたちへの愛情が、凄いのでしょうね。慈悲の化身・・・言葉を尽くしても表現し切れないので、きょうは、この辺で筆を置きます。
実はブログに書こうかどうか悩んだのですが、目立たないところで貢献されている方を知っていただきたく、だけど大きな喧噪が起こるとご迷惑をかけますので、どうか、静かに、淡々と、ボランティア活動に専念できる環境維持のため、見守っていただきますようお願いします。
【お詫びとお断り】 おとといときのうのブログで、木村拓哉さん主演のドラマの番組名を「チェンジ」とか「Change」と表記しましたが、正しくは「CHANGE」でした。お詫びして、訂正します。
・・・ト言ウヨウナコトヲ、テレビ局気取リデ言ウヨウデ、少し妙な気持ちです。妙だけれど、「お詫び」の気持ちは、本当です。
※ 日本の小さな町で人々の日常の平穏な生活が刻まれていく一方、国内では、人々の目が届かない地域社会のエアー・ポケットのような地点で陰惨な事件や事故が起こり、世界では、ミャンマーに続いて、中国でも自然大災害が起こっています。事件や事故や災害は、「まさか」と思うような瞬間と場所で起こっています。有事にどう備え、日常の生活をどう守り、取り戻していくか・・・ 有事の予防予測・有事即応・危機管理の体制・・・国の施策もそうですが、私たちのつくっている地域社会のあり方(連帯・協力・助け合い体制)も、「まさかの時」に対応できるものになっているでしょうか?
すごい スゴイ 凄い!
最近、ほんの少しですが、平日の朝の小学生の登校の際の、交差点での安全のための活動のお手伝いをしています。その交差点には、ご高齢のおじさんがずっと活動されていて、おじさんに聞きますと、「24年間、自治会のことで、1日だけ休んだ以外は、平日の朝は毎日立っている」とのことでした。おじさんは言います。「休んだ翌日に、子どもから、きのう来いひんやったやろう、と言われた」、と。 「わ~、すごい。とても真似できひんワ! 24年前の子どもが、挨拶しますやろ」と私。「さぁ、どうやろう」とおじさん。いつも「ああ、きょうも立ったはるなぁ」と遠目に見ていましたが、まさか、24年とは、しかもたった1日しか休んだことがないやなんて・・・、と絶句しました。
青信号で、子どもたちが渡り、「おはようさん」と声をかけますと、照れくさそうに挨拶する子、そうでない子、さまざまです。
それにしても、おじさんはすごい。スゴイ! 凄い! 私は、と言うと、仕事の合間しかできないとかその他言い訳尽くしの、俗っぽい理由がさまざま頭の中を駆け巡る、凡俗・凡庸な私ですが、それは置いといて、地域社会には、他にも朝・放課後と「スクール・ガード」をしておられる多くの高齢者の方がおられます。私の妻も、3年ほど「スクール・ガード」をしています。自身の生き甲斐もあるけれど、子どもたちへの愛情が、凄いのでしょうね。慈悲の化身・・・言葉を尽くしても表現し切れないので、きょうは、この辺で筆を置きます。
実はブログに書こうかどうか悩んだのですが、目立たないところで貢献されている方を知っていただきたく、だけど大きな喧噪が起こるとご迷惑をかけますので、どうか、静かに、淡々と、ボランティア活動に専念できる環境維持のため、見守っていただきますようお願いします。
【お詫びとお断り】 おとといときのうのブログで、木村拓哉さん主演のドラマの番組名を「チェンジ」とか「Change」と表記しましたが、正しくは「CHANGE」でした。お詫びして、訂正します。
・・・ト言ウヨウナコトヲ、テレビ局気取リデ言ウヨウデ、少し妙な気持ちです。妙だけれど、「お詫び」の気持ちは、本当です。
※ 日本の小さな町で人々の日常の平穏な生活が刻まれていく一方、国内では、人々の目が届かない地域社会のエアー・ポケットのような地点で陰惨な事件や事故が起こり、世界では、ミャンマーに続いて、中国でも自然大災害が起こっています。事件や事故や災害は、「まさか」と思うような瞬間と場所で起こっています。有事にどう備え、日常の生活をどう守り、取り戻していくか・・・ 有事の予防予測・有事即応・危機管理の体制・・・国の施策もそうですが、私たちのつくっている地域社会のあり方(連帯・協力・助け合い体制)も、「まさかの時」に対応できるものになっているでしょうか?
きのう、テレビで派遣社員やワーキング・プアーのことを報じていました。格差の広がりはすさまじく、「ネット・カフェ難民」と言われる若者も出てきています。
Change そして Revolution
そこで突然、キムタクさんにお願いですが、総理大臣役のドラマの次には、格差に苦しむ若者役、ワーキング・プアーの渦中にいる若者の役をして頂けないでしょうか? ドラマ「チェンジ」・・・「Change」の表記が正しいのかな・・・の、高視聴率も報じられていました。若者に、絶大な人気と、それ故に影響力を持つ木村拓哉さんであるが故に、今の日本の社会の断面をえぐるドラマの企画を、お願いしたいのです。
今まで、どっちかと言うと、いわゆる世評ではカッコヨイ職業役が多かったキムタクさん。彼が脱皮するためにも、また、社会の現実へのみんなの理解を深めるためにもためにも、キムタクさんに期待するのです。
若者の、惨状と言ってよい現状をみんなで見詰め、知って、改善・解決の方途を考えていかなければ、日本の未来は惨たるものになっていきます。このブログが、ドラマ関係者の目に留まり、老骨の淡い“夢想”が実現しますよう、敢えて、ブログにたわけ言を述べる次第でございます。
かつて、あのチャーリー・チャップリンは、街の片隅でひっそりと生活している庶民に光を当てる映画「街の灯り」や「ライムライト」などを創りました。
チャップリンも問うたもの、それは・・・現状からの「Change」では、なかったでしょうか? 自らの“体現”を「Change」してこそ、アーチストの表現は、人の心に届けられます。自らの“体現”を「Change」して、人の心に「Revolution」を起こして欲しい。
街の片隅で生きる、七光りとは無縁な人間の淡い勝手生意気な“夢想”“妄想”でございます。
※ チャップリンについては、このアドレスをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3
Change そして Revolution
そこで突然、キムタクさんにお願いですが、総理大臣役のドラマの次には、格差に苦しむ若者役、ワーキング・プアーの渦中にいる若者の役をして頂けないでしょうか? ドラマ「チェンジ」・・・「Change」の表記が正しいのかな・・・の、高視聴率も報じられていました。若者に、絶大な人気と、それ故に影響力を持つ木村拓哉さんであるが故に、今の日本の社会の断面をえぐるドラマの企画を、お願いしたいのです。
今まで、どっちかと言うと、いわゆる世評ではカッコヨイ職業役が多かったキムタクさん。彼が脱皮するためにも、また、社会の現実へのみんなの理解を深めるためにもためにも、キムタクさんに期待するのです。
若者の、惨状と言ってよい現状をみんなで見詰め、知って、改善・解決の方途を考えていかなければ、日本の未来は惨たるものになっていきます。このブログが、ドラマ関係者の目に留まり、老骨の淡い“夢想”が実現しますよう、敢えて、ブログにたわけ言を述べる次第でございます。
かつて、あのチャーリー・チャップリンは、街の片隅でひっそりと生活している庶民に光を当てる映画「街の灯り」や「ライムライト」などを創りました。
チャップリンも問うたもの、それは・・・現状からの「Change」では、なかったでしょうか? 自らの“体現”を「Change」してこそ、アーチストの表現は、人の心に届けられます。自らの“体現”を「Change」して、人の心に「Revolution」を起こして欲しい。
街の片隅で生きる、七光りとは無縁な人間の淡い勝手生意気な“夢想”“妄想”でございます。
※ チャップリンについては、このアドレスをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3
2時間ほど前、木村拓哉さん主演のドラマ「チェンジ」を、つい、最後まで見てしまいました。「つい、最後まで見てしまい・・・」なんて言い方は、何か、ひっかかるような言い方ですが、初めは、どうせキムタク人気におぶさった、キムタク持ち上げドラマだろうと懐疑的に見ていましたが、最後の方のシーンで、亡くなった国会議員の父親の不正を率直に認めるあたりから、けっこう面白いドラマじゃん、と思い直し、急遽、この文を書くことにしました。
シンデレラからトンデレラへ
基本的には、国会議員の世襲化には、疑問どころか大きな不満を持っている。世襲議員が幅をきかし、政権にまでたどり着く現状は、日本の不幸とまで思っている。
議員を選ぶ選挙には、「選挙の3バン」 という言葉がある。当選するための3バン、すなわち「地盤・看板・カバン」・・・と。
「地盤」 とは、文字通り選挙区での地盤・支持組織。 「看板」 とは、知名度。 「カバン」 とは、本当に悲しいことですが、カバンの中身、すなわち現金・資金のこと。この構造の前では「名もなく、貧しく、美しい」庶民の当選は、事実上、難しい、 いわゆるタレント候補には看板があるし、世襲候補は、特に、地盤・看板で、時にはカバンで有利な立場に立つ。
世襲議員が当選しやすい背景には、選挙民の中の有力者が、地元の利益を実現してもらうために、親の議員が亡くなったら、奥さんや子どもを身代わりに立てて、弔い合戦で、選挙民に情緒的に訴えて、という構造があるように思います。「義理人情」や一昔前によくあった「土下座選挙」・・・「一部の奉仕者ではなく、全体の奉仕者たる」(日本国憲法第15条)議員を選ぶには、極めて、変なことが、現実的には、まだまだあるようです。
このドラマが、課題山積の折、国民が、政治や選挙のあり方に関心を持ち、考えていくことに繋がっていけば素晴らしい。キムタク演じる2世政治家は、親の不正を認め、親の七光りを否定することから始まった。だから、心にストンと落ちる。
ドラマやん、と言われればそれまでだが、このシンデレラ・ストーリーで、有権者の心==政治や選挙への関心==も「トンデレラ(飛んでれら・・・飛翔)」しますように。。。次回も、見るよう努力します(つい、寝てしまったら別ですが・・・。見るよう努力します)。シンデレラからトンデレラへ。信ジラレナ~イ現実から、トンデレラしますように・・・。やや、余韻に興奮気味です。見出しは、おフザケのようですが、中身はマジメに日本の未来を考えてオリマス。
【補足? 蛇足?】 ドラマの中で、深津絵里さん扮する秘書らしき人が、選挙の候補者のルックスがよいから、女性票が入るだろうというセリフを言っていました。思わず笑ってしまいましたが、現実はそうだ、と言ってよい状況があるようです。悲しいけれど・・・。だから「看板」の中には
候補者の「ルックス」も入ってくるんだなあぁ!???
シンデレラからトンデレラへ
基本的には、国会議員の世襲化には、疑問どころか大きな不満を持っている。世襲議員が幅をきかし、政権にまでたどり着く現状は、日本の不幸とまで思っている。
議員を選ぶ選挙には、「選挙の3バン」 という言葉がある。当選するための3バン、すなわち「地盤・看板・カバン」・・・と。
「地盤」 とは、文字通り選挙区での地盤・支持組織。 「看板」 とは、知名度。 「カバン」 とは、本当に悲しいことですが、カバンの中身、すなわち現金・資金のこと。この構造の前では「名もなく、貧しく、美しい」庶民の当選は、事実上、難しい、 いわゆるタレント候補には看板があるし、世襲候補は、特に、地盤・看板で、時にはカバンで有利な立場に立つ。
世襲議員が当選しやすい背景には、選挙民の中の有力者が、地元の利益を実現してもらうために、親の議員が亡くなったら、奥さんや子どもを身代わりに立てて、弔い合戦で、選挙民に情緒的に訴えて、という構造があるように思います。「義理人情」や一昔前によくあった「土下座選挙」・・・「一部の奉仕者ではなく、全体の奉仕者たる」(日本国憲法第15条)議員を選ぶには、極めて、変なことが、現実的には、まだまだあるようです。
このドラマが、課題山積の折、国民が、政治や選挙のあり方に関心を持ち、考えていくことに繋がっていけば素晴らしい。キムタク演じる2世政治家は、親の不正を認め、親の七光りを否定することから始まった。だから、心にストンと落ちる。
ドラマやん、と言われればそれまでだが、このシンデレラ・ストーリーで、有権者の心==政治や選挙への関心==も「トンデレラ(飛んでれら・・・飛翔)」しますように。。。次回も、見るよう努力します(つい、寝てしまったら別ですが・・・。見るよう努力します)。シンデレラからトンデレラへ。信ジラレナ~イ現実から、トンデレラしますように・・・。やや、余韻に興奮気味です。見出しは、おフザケのようですが、中身はマジメに日本の未来を考えてオリマス。
【補足? 蛇足?】 ドラマの中で、深津絵里さん扮する秘書らしき人が、選挙の候補者のルックスがよいから、女性票が入るだろうというセリフを言っていました。思わず笑ってしまいましたが、現実はそうだ、と言ってよい状況があるようです。悲しいけれど・・・。だから「看板」の中には
候補者の「ルックス」も入ってくるんだなあぁ!???
昨日の「母の日」の朝、テレビで、長谷川伸原作の演劇『瞼の母』を演出している渡辺えりさんが、出演していました。私の子ども時代、『瞼の母』は、映画館で立ち見が出るほど流行っていて、私も、感涙にむせびながら見ていました。
お母ちゃんが いっぱい
お節介の『復権』を・・・
渡辺えりさんは、次のように、言います。
世の中には、お母さんは、いっぱいいる。本当のお母さんだけでなく、子どもたちを心配して、声をかけたり、世話をしてくれるお母さんが、いっぱいいる。その時には、気づかなくても、ああ、あとからあのおばちゃんやおじちゃんの親切が、今の私を造ってくれたんだ・・・ と。
テレビをぱっと観ての記憶ですので、細かい部分は違うかも知れませんけど、大きくはこういう趣旨の発言でした。私も、全面的に同感!
私の心や体内には、記憶は定かでないけれど、今まで出会ってきた人たち、目にもしていない人たちの、有形無形の私への関与や働きかけが、いっぱい、詰まっています。そして、私も、誰か、どこかの人たちの心や体に、影響を与えています(・・・のはずです)。
今、日本の社会では、ともすれば、敬遠もしくは嫌悪されがちな「お節介」。人間、お互いに、お節介だからこそ、進化してきたし、生きていけるのではアリマセンカ? そんなことを考えさせられる、渡辺エリさんの、「母の日」の言葉でした。
お母ちゃんが いっぱい
お節介の『復権』を・・・
渡辺えりさんは、次のように、言います。
世の中には、お母さんは、いっぱいいる。本当のお母さんだけでなく、子どもたちを心配して、声をかけたり、世話をしてくれるお母さんが、いっぱいいる。その時には、気づかなくても、ああ、あとからあのおばちゃんやおじちゃんの親切が、今の私を造ってくれたんだ・・・ と。
テレビをぱっと観ての記憶ですので、細かい部分は違うかも知れませんけど、大きくはこういう趣旨の発言でした。私も、全面的に同感!
私の心や体内には、記憶は定かでないけれど、今まで出会ってきた人たち、目にもしていない人たちの、有形無形の私への関与や働きかけが、いっぱい、詰まっています。そして、私も、誰か、どこかの人たちの心や体に、影響を与えています(・・・のはずです)。
今、日本の社会では、ともすれば、敬遠もしくは嫌悪されがちな「お節介」。人間、お互いに、お節介だからこそ、進化してきたし、生きていけるのではアリマセンカ? そんなことを考えさせられる、渡辺エリさんの、「母の日」の言葉でした。
「母の日」に寄せて、いささか照れくさいのですが、詩(もどき)を・・・。UPするかどうか躊躇且つ逡巡しましたが、エエい! 勇気を出して、載せちゃいます。
母
歌も 文句も 同じ口から
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いていた
怖かった うるさかった
だが 小学校の高学年まで 一緒の布団で寝ていた
明治生まれ
18年前 89歳でこの世を去った母
戦後 私がものごころついた昭和20年代
父親が病気がちで いつも家にいた
母が 外へ 働きに出ていた
6人兄弟の末っ子
姉3人 兄2人
既に 3人が他界し 残されたのは姉2人と私
父は 小6の時に 死に
母が 女手ひとつで 社会の波に 立ち向かった
そして最後は
母と私だけになった家に 妻が来て
それから 20年 姑と嫁
妻も よく辛抱し 面倒を見て
母 晩年は 妻に「お母ちゃん」と呼ぶようになった
孫もいて 友もいて
幸せな老境のはず
だが
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてた
怖さは薄れたが うるささは相変わらず
明治人の気骨
明治・大正・昭和の 困苦と戦乱を生きてきて
ちょっとしたことで講釈を垂れ
嫁に文句 私に文句 孫に文句 だが
ちょっとしたことで涙ぐむ
生きている時 そんな母に反発を覚え
47歳の時 母他界 不遜にも若干の解放感
だけど今
私がまるで 母に「そっくり」
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてる
そして それから お節介
母
歌も 文句も 同じ口から
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いていた
怖かった うるさかった
だが 小学校の高学年まで 一緒の布団で寝ていた
明治生まれ
18年前 89歳でこの世を去った母
戦後 私がものごころついた昭和20年代
父親が病気がちで いつも家にいた
母が 外へ 働きに出ていた
6人兄弟の末っ子
姉3人 兄2人
既に 3人が他界し 残されたのは姉2人と私
父は 小6の時に 死に
母が 女手ひとつで 社会の波に 立ち向かった
そして最後は
母と私だけになった家に 妻が来て
それから 20年 姑と嫁
妻も よく辛抱し 面倒を見て
母 晩年は 妻に「お母ちゃん」と呼ぶようになった
孫もいて 友もいて
幸せな老境のはず
だが
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてた
怖さは薄れたが うるささは相変わらず
明治人の気骨
明治・大正・昭和の 困苦と戦乱を生きてきて
ちょっとしたことで講釈を垂れ
嫁に文句 私に文句 孫に文句 だが
ちょっとしたことで涙ぐむ
生きている時 そんな母に反発を覚え
47歳の時 母他界 不遜にも若干の解放感
だけど今
私がまるで 母に「そっくり」
歌も 文句も 同じ口から
喜びも 悲しみも 大層で
いつも せかせか 動いてる
そして それから お節介
一昨日になりますが、「NEWS ZERO」というテレビの報道番組で、サッカー選手を現役引退した中田英寿さんの、世界各地を見て歩きの記録が報じられていました。このブログの4月18日号でも触れましたが、彼は、引退後、世界各地を自分探しの旅をして、自分がやるべき何かを発見しつつあるようです。以下、番組を見ての、ややうろ覚え気味の再現(?)および感想です。
僕が見た、この地球。
澄んだ水を・・・
人間の住む地球・世界にはさまざまな環境がある。それは「自然(緑)の環境」だけでなく「社会的・政治的環境」がある。世界各地を見て、人々の世界を見て経験して、さまざまな環境について、もう一歩前へ踏み出して、考えていくことの大切さに気づいていった。彼は、サッカーを通して、それを人々に提起していきたいと言う。
例えば、砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の大地に立つ。一面見渡す限りの砂漠。女性は4㎞ほど離れた所から、水を汲んで運んでくる、という。。。灼熱の太陽、私たち日本に住んでいる人間にはあって“当然”の“水”を求めて、歩く。。。灼熱の太陽の下、歩いて水くみ場に行き、水を汲んで、桶に水を入れ、その桶を頭に乗せて、歩いて帰ってくる。背中には、赤ちゃんをおぶって・・・。こうした生活を続けている。
こうした地域では、水は“貴重品”。井戸を掘っても浅くしか掘れなかった。その井戸からは、濁った水しか手に入らない。子どもたちは、それを飲んで下痢をする。水は、濁ったもの、と思い込んでいて、“澄んだ水”を知らない。
ここに、日本とユニセフの支援で、地中深く、掘削した井戸から、“澄んだ水”が汲めると言う。この井戸で、人々の生活は変わっていく。この井戸の水脈発見と掘削のためには、人手と技術と経費がいる。
中田さんは、サッカーの試合を企画して、それぞれにできる何かを訴えて行きたい、と言う。それが「プラス ワン」。
旅のさまざまを収録したドキュメント「僕が見た、この地球。」が、6月2日の午後9時30分から放映されるそうです。彼の行動と訴えを、見て考えて、一人ひとりが「環境」に対して出来ることを、まずひとつから始めていきましょう・・・。まずひとつから・・・と。
次のアドレスをご参照ください。
http://www1.ntv.co.jp/zero/nakata/
http://www1.ntv.co.jp/zero/oshirase/2008/05/post_15.html
※ 昔、「ピンポン」、今「ピンポンパンだ」外交。昔は、ピンポンの球の行方に、世界は、日本中の人々は、固唾を呑んで見守りました。ピンポンの球の重さが語られました。昔、パンダは日本中を熱狂させました。今、ピンポンの球は軽く台上を行き交い、今、パンダには、全く罪はないけれど、何億円かかるか分からない経費の重さにため息が行き交っています。そうした中でも忘れてはならないことは、歴史の重さです。それも、明治以降の歴史だけでなく、太古の昔から、日中はどう交流してきたか? 私のブログを宣伝する訳でもないのですが、(実は、宣伝していますが・・・)、2月27・28・29日・3月1日号あたりを見ていただければ有り難いです。
僕が見た、この地球。
澄んだ水を・・・
人間の住む地球・世界にはさまざまな環境がある。それは「自然(緑)の環境」だけでなく「社会的・政治的環境」がある。世界各地を見て、人々の世界を見て経験して、さまざまな環境について、もう一歩前へ踏み出して、考えていくことの大切さに気づいていった。彼は、サッカーを通して、それを人々に提起していきたいと言う。
例えば、砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の大地に立つ。一面見渡す限りの砂漠。女性は4㎞ほど離れた所から、水を汲んで運んでくる、という。。。灼熱の太陽、私たち日本に住んでいる人間にはあって“当然”の“水”を求めて、歩く。。。灼熱の太陽の下、歩いて水くみ場に行き、水を汲んで、桶に水を入れ、その桶を頭に乗せて、歩いて帰ってくる。背中には、赤ちゃんをおぶって・・・。こうした生活を続けている。
こうした地域では、水は“貴重品”。井戸を掘っても浅くしか掘れなかった。その井戸からは、濁った水しか手に入らない。子どもたちは、それを飲んで下痢をする。水は、濁ったもの、と思い込んでいて、“澄んだ水”を知らない。
ここに、日本とユニセフの支援で、地中深く、掘削した井戸から、“澄んだ水”が汲めると言う。この井戸で、人々の生活は変わっていく。この井戸の水脈発見と掘削のためには、人手と技術と経費がいる。
中田さんは、サッカーの試合を企画して、それぞれにできる何かを訴えて行きたい、と言う。それが「プラス ワン」。
旅のさまざまを収録したドキュメント「僕が見た、この地球。」が、6月2日の午後9時30分から放映されるそうです。彼の行動と訴えを、見て考えて、一人ひとりが「環境」に対して出来ることを、まずひとつから始めていきましょう・・・。まずひとつから・・・と。
次のアドレスをご参照ください。
http://www1.ntv.co.jp/zero/nakata/
http://www1.ntv.co.jp/zero/oshirase/2008/05/post_15.html
※ 昔、「ピンポン」、今「ピンポンパンだ」外交。昔は、ピンポンの球の行方に、世界は、日本中の人々は、固唾を呑んで見守りました。ピンポンの球の重さが語られました。昔、パンダは日本中を熱狂させました。今、ピンポンの球は軽く台上を行き交い、今、パンダには、全く罪はないけれど、何億円かかるか分からない経費の重さにため息が行き交っています。そうした中でも忘れてはならないことは、歴史の重さです。それも、明治以降の歴史だけでなく、太古の昔から、日中はどう交流してきたか? 私のブログを宣伝する訳でもないのですが、(実は、宣伝していますが・・・)、2月27・28・29日・3月1日号あたりを見ていただければ有り難いです。
きのうに続き、お送りします。
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紫外線 ハードな練習と試合 活性酸素
伊達選手の活躍はうれしい。だけど、心配していることがある。それは、すごい日焼けと、伝えられるハードな練習と試合時間の長さ。私が、テニスに熱中したのは30台半ばから50台初め、今から30年前から15年前のことだった。夏のかんかん照りの日はもちろん、ハード・コートが町に普及した頃からは、冬はコート上の積雪をのけてまでもやったものだった。
そんなに好きだったテニスなぜやめたのか、というと、技術と体力が伸びず、というより体に無理がきかなくなって、ほぼ同世代のテニス仲間に試合で“惨敗”に近い“完敗”をしたこともあるけれど、確か50台に入るか入らない頃から、「過度の紫外線の恐怖」や「活性酸素の身体へのワルさ」がテレビなどでも報じられるようになったことが大きかった。
ずっと以前は、日焼けコンテストみたいなものもあって、日焼けが健康の証であるとか夏の美容の一つみたいに考えられていた。ところが今から15年ほど前から、そのようなことは、ぱたっと、報じられなくなった。
ところが今、テニスの試合では、特に女子選手ではノー・スリーブのシャツが一般的で、伊達選手を見ても、肩から顔への日焼けがすごい。それにハードな練習と試合・・・37歳の彼女は、今は、表面的には対応できているけれど、体の方は相当“悲鳴”を上げているのではないかと、老婆心ならぬ“老爺心(?)”ながら心配している。
紫外線もハードな練習や試合も、体内に活性酸素を蓄積するだろう。それが、後の病気に繋がることを心配している。余計なお世話だと、ウザく(無理矢理、若づくりの言葉!?)思われるかも知れないけれど、もし、伊達選手が私の娘・息子なら、何やかや、文句を言うだろう。適当にしとけヨ、とか、もっと体全身を覆うシャツや帽子や、紫外線防止のメガネをかけてプレイしろ、とか・・・。
伊達選手への賞賛の言葉は多い。だけど、健康面からの注釈が、テレビなどでも、聞いたことがナイ! ひとこと、ふたこと、あってもイイのじゃないかな、とも強く思う。マラソン選手然り、ビーチ・バレー・ボール選手然り。男女を問わず、「花の命は短くて」・・・人生のある瞬間を輝かせることも意味あることだけれど、その人の存在が永く人の社会にメッセージや影響を与えて欲しいから、こそ、ヨケイな心配・懸念をしている。ほそ~くてもなが~く生きて・・・いつもながら、お節介の弁、ご静聴、有り難うございました。
※ 実は、この文を書く数十分前、「NEWS ZERO」というテレビの報道番組で、中田英寿選手の、世界各地を見て歩きの記録が報じられていました。砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の“水”の確保のためには、「紫外線の恐怖」どころではない現実に衝撃をうけました。明日もしくは後日(最近、少しスタミナに ? ですので・・・)に続けます。。。。。
なお、マリ共和国については、このアドレスをクリックして、ご参照ください。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%83%AA%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8
心配! 活性酸素
紫外線 ハードな練習と試合 活性酸素
伊達選手の活躍はうれしい。だけど、心配していることがある。それは、すごい日焼けと、伝えられるハードな練習と試合時間の長さ。私が、テニスに熱中したのは30台半ばから50台初め、今から30年前から15年前のことだった。夏のかんかん照りの日はもちろん、ハード・コートが町に普及した頃からは、冬はコート上の積雪をのけてまでもやったものだった。
そんなに好きだったテニスなぜやめたのか、というと、技術と体力が伸びず、というより体に無理がきかなくなって、ほぼ同世代のテニス仲間に試合で“惨敗”に近い“完敗”をしたこともあるけれど、確か50台に入るか入らない頃から、「過度の紫外線の恐怖」や「活性酸素の身体へのワルさ」がテレビなどでも報じられるようになったことが大きかった。
ずっと以前は、日焼けコンテストみたいなものもあって、日焼けが健康の証であるとか夏の美容の一つみたいに考えられていた。ところが今から15年ほど前から、そのようなことは、ぱたっと、報じられなくなった。
ところが今、テニスの試合では、特に女子選手ではノー・スリーブのシャツが一般的で、伊達選手を見ても、肩から顔への日焼けがすごい。それにハードな練習と試合・・・37歳の彼女は、今は、表面的には対応できているけれど、体の方は相当“悲鳴”を上げているのではないかと、老婆心ならぬ“老爺心(?)”ながら心配している。
紫外線もハードな練習や試合も、体内に活性酸素を蓄積するだろう。それが、後の病気に繋がることを心配している。余計なお世話だと、ウザく(無理矢理、若づくりの言葉!?)思われるかも知れないけれど、もし、伊達選手が私の娘・息子なら、何やかや、文句を言うだろう。適当にしとけヨ、とか、もっと体全身を覆うシャツや帽子や、紫外線防止のメガネをかけてプレイしろ、とか・・・。
伊達選手への賞賛の言葉は多い。だけど、健康面からの注釈が、テレビなどでも、聞いたことがナイ! ひとこと、ふたこと、あってもイイのじゃないかな、とも強く思う。マラソン選手然り、ビーチ・バレー・ボール選手然り。男女を問わず、「花の命は短くて」・・・人生のある瞬間を輝かせることも意味あることだけれど、その人の存在が永く人の社会にメッセージや影響を与えて欲しいから、こそ、ヨケイな心配・懸念をしている。ほそ~くてもなが~く生きて・・・いつもながら、お節介の弁、ご静聴、有り難うございました。
※ 実は、この文を書く数十分前、「NEWS ZERO」というテレビの報道番組で、中田英寿選手の、世界各地を見て歩きの記録が報じられていました。砂漠化に苦しむ西アフリカのマリ共和国の“水”の確保のためには、「紫外線の恐怖」どころではない現実に衝撃をうけました。明日もしくは後日(最近、少しスタミナに ? ですので・・・)に続けます。。。。。
なお、マリ共和国については、このアドレスをクリックして、ご参照ください。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%83%AA%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8
今回も、爽やかで明快なスポ-ツの話を、分かりにくく(?)解説します。
復帰! 大活躍!
クルム伊達公子選手の復帰と大活躍は、うれしい。テニスを若干かじった私が、少し知ったかぶりで講釈すると、彼女のテニスにおける強さの秘訣は、相手から打たれてきたボールが自分のコ-トに着いて跳ね返るボールの上り際もしくはその軌跡の頂点で、ボ-ルをラケット面にあてて敵のコートへ返す「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」(私の造語? 命名)にある、と言えるだろう。
普通は、敵から帰ってきたボールは、ノーバウンドで打ち返す「ボレー」や、高く上がったボールを敵のコートへ叩き込む「スマッシュ」以外は、自陣のコートでワンバウンドで帰ってきたボールの軌跡が下がり気味の時に打つ「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」(こんな言葉はないと思う。分かって貰いやすくしたための私の造語。インターネットで検索したら「ライジング・ショット」と書いてありました。)で、敵のコートへ打ち返す。他に、コートに着いて跳ね返ろうとするボールにラケット面をちょっこと当てて“反射”で敵陣へ返す打ち方(名前は忘れました。熱中当時は、よく「テニスの本」を読んで、理論学習したものですが・・・)と、「サーブ」(これは、“著名度”が高い)があります。
「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」が一般的であって、「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」で打ち返す選手はあんまりいない。敵からしたら、前者の場合は自分が打って、球が敵から返ってくるまでは若干の時間的余裕はあるが、ライジングの場合、敵からしたら、すぐに打ち返されて時間的余裕がなく、息つぐまもなく、右へ、左へ、前へ、後ろへ走り回される、ということになる。
それなら、選手全員が、ライジングで打ったらイイやないか、ということになるかも知れないが、これがまた技術的にも難しいし、相当な反射神経とスピードとスタミナを必要とする。だから、必然的に、ダウン・・・ストロークが多くなる。
だから、彼女は、反射神経とスピードとスタミナを維持し、向上させるために、これまた、相当な練習と体力錬磨をしてきたのだろう・・・。。。。。少し、私のスタミナが切れ気味になってきましたので、明日もしくは後日に、“日没(スタミナ切れ?)による試合延長”とさせて頂きます。
復帰! 大活躍!
クルム伊達公子選手の復帰と大活躍は、うれしい。テニスを若干かじった私が、少し知ったかぶりで講釈すると、彼女のテニスにおける強さの秘訣は、相手から打たれてきたボールが自分のコ-トに着いて跳ね返るボールの上り際もしくはその軌跡の頂点で、ボ-ルをラケット面にあてて敵のコートへ返す「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」(私の造語? 命名)にある、と言えるだろう。
普通は、敵から帰ってきたボールは、ノーバウンドで打ち返す「ボレー」や、高く上がったボールを敵のコートへ叩き込む「スマッシュ」以外は、自陣のコートでワンバウンドで帰ってきたボールの軌跡が下がり気味の時に打つ「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」(こんな言葉はないと思う。分かって貰いやすくしたための私の造語。インターネットで検索したら「ライジング・ショット」と書いてありました。)で、敵のコートへ打ち返す。他に、コートに着いて跳ね返ろうとするボールにラケット面をちょっこと当てて“反射”で敵陣へ返す打ち方(名前は忘れました。熱中当時は、よく「テニスの本」を読んで、理論学習したものですが・・・)と、「サーブ」(これは、“著名度”が高い)があります。
「ダウン・ボール・ヒット・ストローク」が一般的であって、「ライジング・ボール・ヒット・ストローク」で打ち返す選手はあんまりいない。敵からしたら、前者の場合は自分が打って、球が敵から返ってくるまでは若干の時間的余裕はあるが、ライジングの場合、敵からしたら、すぐに打ち返されて時間的余裕がなく、息つぐまもなく、右へ、左へ、前へ、後ろへ走り回される、ということになる。
それなら、選手全員が、ライジングで打ったらイイやないか、ということになるかも知れないが、これがまた技術的にも難しいし、相当な反射神経とスピードとスタミナを必要とする。だから、必然的に、ダウン・・・ストロークが多くなる。
だから、彼女は、反射神経とスピードとスタミナを維持し、向上させるために、これまた、相当な練習と体力錬磨をしてきたのだろう・・・。。。。。少し、私のスタミナが切れ気味になってきましたので、明日もしくは後日に、“日没(スタミナ切れ?)による試合延長”とさせて頂きます。
感動に文章エンドレス、そして強制終了
デジタルとアナログ?
昨日、体操の北京五輪代表決定競技会を兼ねたNHK杯の大会男子の部のテレビ中継を見ました。選手の鍛えられたワザ、そして肉体に目を見張りました。鉄棒の遙か上に振り上がって(「飛び上がって」ではないし、「舞い上がって」でもない。従って、「振り上がって」・・・)上空に自身を放り投げ、上空で身を捻り、複雑に回転させ、おまけに両腕を交差させて、地球の引力の法則で身が降りて両手が鉄棒に触れた途端にしっかりと両手の指で鉄棒を掴み、引き続いて、連続のワザをハイ・スピードで繰り広げ、最後は、幾重にも身を捻り、回転させ、それでもバランス感覚を崩さすに、最後の最後、両足でしっかりと、少しは蹌踉(よろ)めきつつも、床(マット)の上に立つ。どれほど、形容詞を尽くしても、筆舌に尽くせない動きの連続で、見る人の目を奪い(私は、“完全”に奪われました)ます。
以前、何十年か前、「ウルトラC」がどうのこうの言っていた時期もありましたが、その時から想像のできない進歩、チョー困難化・複雑化です。当時、体操のワザについて、スポーツかアクロバットか、という議論は若干あったように記憶していますが、今回の体操競技には、そんな議論がどこかに吹っ飛んで仕舞うほど、圧倒的な迫力が、眼前に展開(テレビ越しですが・・・。会場にいたら、選手の息づかい・表情・仕草・筋肉の痙攣みたいなものや、それをケアーするマッサージ等も見えるだろうと、会場の雰囲気を想像しています・・・)されていました。
床運動でも、鞍馬でも、筆舌に尽くせない動きの連続。私が、一生かかっても、二生かかっても、三生かかっても(“二生”とか“三生”、、、こんなことがあるのかな、」と一方で思いつつ・・・)到底できないワザが繰り広げられていました。
ところで、この文を書きながら、超速カメラの映像でしか表現できないようなことを文章で表現することの難しさを感じています。デジタルをアナログに無理矢理返すようなものです。ですが、選手のこれまでの努力・鍛錬は、小さな小さなアナログをこつこつこつこつ、ああでもない、こうでもない、ああしよう、こうしようと積み上げてきたものなのでしょうネ。
私も、レベルはかなり違い、種目も違いますが、中年過ぎから熱中した硬式テニスでも、一杯のアナログを工夫して積み重ねました。テレビを凝視して、ボルグ選手やイワン・レンドル選手のワザを盗もうとし、それでも、はたと“遠い現実”に気づかされて、それでも彼らのワザや精神状態を“解説(?)”して悦に入ったりしてきました。ですが、今も脱却できない我が身の“メタボ”(当時は、そんな言葉は一般的ではなかったですが・・・・あったかどうかは知りません)から脱却できず、それ故、ウィンブルドンのコートは、遠いとおい、チョー遠い世界のことでした。(「デジタル」と「アナログ」・・・こんな言葉の使い方でイイノカナ? ですが、それを使いたくなる感動の一端をごご理解ください。)
ですが、これほどまでに、選手を鍛え、駆り立てる体操競技、しかもどんどん若い選手が輩出してくる、競技の魅力は何でしょうね!?。。。 分かるようでもあるし、その人でしか分からないことのようでもあるし、人間の持つ可能性や魅力がいっぱい繰り広げられていました。競技を終えた選手たちは、顔はどこにでも見かける優しい笑顔の青年、だけど肉体は筋骨隆々・・・先日のブログで失いつつある、と私メが嘆いた、気は優しくて力持ちの「金太郎さん」や「桃太郎さん」が一杯いました。 ・・・文章が、限りなくエンドレスで続きそうですので、えいっと“強制終了”させちゃいます。ご静聴、有り難うございました。
デジタルとアナログ?
昨日、体操の北京五輪代表決定競技会を兼ねたNHK杯の大会男子の部のテレビ中継を見ました。選手の鍛えられたワザ、そして肉体に目を見張りました。鉄棒の遙か上に振り上がって(「飛び上がって」ではないし、「舞い上がって」でもない。従って、「振り上がって」・・・)上空に自身を放り投げ、上空で身を捻り、複雑に回転させ、おまけに両腕を交差させて、地球の引力の法則で身が降りて両手が鉄棒に触れた途端にしっかりと両手の指で鉄棒を掴み、引き続いて、連続のワザをハイ・スピードで繰り広げ、最後は、幾重にも身を捻り、回転させ、それでもバランス感覚を崩さすに、最後の最後、両足でしっかりと、少しは蹌踉(よろ)めきつつも、床(マット)の上に立つ。どれほど、形容詞を尽くしても、筆舌に尽くせない動きの連続で、見る人の目を奪い(私は、“完全”に奪われました)ます。
以前、何十年か前、「ウルトラC」がどうのこうの言っていた時期もありましたが、その時から想像のできない進歩、チョー困難化・複雑化です。当時、体操のワザについて、スポーツかアクロバットか、という議論は若干あったように記憶していますが、今回の体操競技には、そんな議論がどこかに吹っ飛んで仕舞うほど、圧倒的な迫力が、眼前に展開(テレビ越しですが・・・。会場にいたら、選手の息づかい・表情・仕草・筋肉の痙攣みたいなものや、それをケアーするマッサージ等も見えるだろうと、会場の雰囲気を想像しています・・・)されていました。
床運動でも、鞍馬でも、筆舌に尽くせない動きの連続。私が、一生かかっても、二生かかっても、三生かかっても(“二生”とか“三生”、、、こんなことがあるのかな、」と一方で思いつつ・・・)到底できないワザが繰り広げられていました。
ところで、この文を書きながら、超速カメラの映像でしか表現できないようなことを文章で表現することの難しさを感じています。デジタルをアナログに無理矢理返すようなものです。ですが、選手のこれまでの努力・鍛錬は、小さな小さなアナログをこつこつこつこつ、ああでもない、こうでもない、ああしよう、こうしようと積み上げてきたものなのでしょうネ。
私も、レベルはかなり違い、種目も違いますが、中年過ぎから熱中した硬式テニスでも、一杯のアナログを工夫して積み重ねました。テレビを凝視して、ボルグ選手やイワン・レンドル選手のワザを盗もうとし、それでも、はたと“遠い現実”に気づかされて、それでも彼らのワザや精神状態を“解説(?)”して悦に入ったりしてきました。ですが、今も脱却できない我が身の“メタボ”(当時は、そんな言葉は一般的ではなかったですが・・・・あったかどうかは知りません)から脱却できず、それ故、ウィンブルドンのコートは、遠いとおい、チョー遠い世界のことでした。(「デジタル」と「アナログ」・・・こんな言葉の使い方でイイノカナ? ですが、それを使いたくなる感動の一端をごご理解ください。)
ですが、これほどまでに、選手を鍛え、駆り立てる体操競技、しかもどんどん若い選手が輩出してくる、競技の魅力は何でしょうね!?。。。 分かるようでもあるし、その人でしか分からないことのようでもあるし、人間の持つ可能性や魅力がいっぱい繰り広げられていました。競技を終えた選手たちは、顔はどこにでも見かける優しい笑顔の青年、だけど肉体は筋骨隆々・・・先日のブログで失いつつある、と私メが嘆いた、気は優しくて力持ちの「金太郎さん」や「桃太郎さん」が一杯いました。 ・・・文章が、限りなくエンドレスで続きそうですので、えいっと“強制終了”させちゃいます。ご静聴、有り難うございました。
きのうの記事に関して、理屈っぽい自作の詩(もどき)をご披露します。 私のような浅学が、ブログでいかにも分かったようにエラそうにいっていいのだろうか、と躊躇しています。ですが、博学でも隠居に籠もっているよりは、限られた命、浅学でも少しでも社会にお役に立ってご恩返しできれば(ひょっとしたら、“ご恩返し”どころか“押しつけ・ご迷惑”?)、と蛮勇を発揮し、羞恥心を排して、ご披露させていただきます。
子どもたちへ
人間は 人間の後輩を
育ててきた だから君も・・・
ヒトは 学習しなければ「人間」になれないこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 妊娠期間が短くて
だから生まれた時は 極端に 頼りなくて
生まれてすぐ サルやウマらしくなる
サルやウマなどと比べてみても
生活力が ほとんどないこと
だから人間は 赤ちゃんのときは
まわりの人に支えてもらわなくては
生きていけないこと
だから 本当に 赤ちゃんは
頼りなくて弱い存在であること
だけど人間の赤ちゃんが 強くてしたたかなのは
頼りないその時期に まわりの人から
人間としての『知恵』を いっぱい学びつづけること
だから人間の赤ちゃんは
3才ごろまでは チンパンジーの生活力に
負けているけど
やがて 彼を追い抜かすほど
いっぱい知恵と生活力をもっていくこと
それから人間はふるさとや家庭や学校で学び続け
どんどん 人間としての 知恵と生活力をつけて
どんどんどんどん 人間らしく なっていくこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 『学ぶ』ということが
『人間』になっていく『条件』であること
サルやウマは 生まれついてサルやウマだけど
人間は 学び続けて やっと『人間』になれること
どんなことでも 学ぶ値打ちのあること
これだけの文化をつくってきた 人間の歴史には
オレは人間だ ワタシは人間だ
と叫ぶ声がいっぱい詰まっていること
君が やがて成人して 結婚して 人の親になって
頼りない赤ちゃんや子どもたちに
いっぱい 人間としての知恵と生活力を
つけてあげるための 大人になっていくこと
人間の歴史はそうしたことをずっと続けてきたこと
より人間らしく生きていってほしいために
人間は 人間の後輩を 育てて きたこと
そして 君もやがて 君の後輩を 育てて いくこと
※ 上の詩(もどき)を載せながら、一方では、今、日本では、「子育てのあり方」以前の問題として「子どもの人口減少問題」が深刻になってきていることに、心を痛めています。生き方の多様化、結婚しない若者の増加、結婚して家庭を持ちにくい社会・経済情勢・・・このことについても、次のアドレスを開いてみて頂きたく思っています。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/decrease_of_children/
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/musashi/index.htm
※ 妻が還暦を迎え、還暦祝いをイヤがっていましたが、昨日、息子の誕生日祝いも兼ねて、小宴を開きました。20代半ばの息子も未婚で、「早く結婚して、孫を見せてくれ!」とハッパをかけたら、苦笑していました。息子のいとこも未婚者が何人かいて、心配だという話をしました。日本の未来が、本当に心配です。・・・ということを、小宴でも愚痴りました。
子どもたちへ
人間は 人間の後輩を
育ててきた だから君も・・・
ヒトは 学習しなければ「人間」になれないこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 妊娠期間が短くて
だから生まれた時は 極端に 頼りなくて
生まれてすぐ サルやウマらしくなる
サルやウマなどと比べてみても
生活力が ほとんどないこと
だから人間は 赤ちゃんのときは
まわりの人に支えてもらわなくては
生きていけないこと
だから 本当に 赤ちゃんは
頼りなくて弱い存在であること
だけど人間の赤ちゃんが 強くてしたたかなのは
頼りないその時期に まわりの人から
人間としての『知恵』を いっぱい学びつづけること
だから人間の赤ちゃんは
3才ごろまでは チンパンジーの生活力に
負けているけど
やがて 彼を追い抜かすほど
いっぱい知恵と生活力をもっていくこと
それから人間はふるさとや家庭や学校で学び続け
どんどん 人間としての 知恵と生活力をつけて
どんどんどんどん 人間らしく なっていくこと
人間が 他の動物と違うところ
それは 『学ぶ』ということが
『人間』になっていく『条件』であること
サルやウマは 生まれついてサルやウマだけど
人間は 学び続けて やっと『人間』になれること
どんなことでも 学ぶ値打ちのあること
これだけの文化をつくってきた 人間の歴史には
オレは人間だ ワタシは人間だ
と叫ぶ声がいっぱい詰まっていること
君が やがて成人して 結婚して 人の親になって
頼りない赤ちゃんや子どもたちに
いっぱい 人間としての知恵と生活力を
つけてあげるための 大人になっていくこと
人間の歴史はそうしたことをずっと続けてきたこと
より人間らしく生きていってほしいために
人間は 人間の後輩を 育てて きたこと
そして 君もやがて 君の後輩を 育てて いくこと
※ 上の詩(もどき)を載せながら、一方では、今、日本では、「子育てのあり方」以前の問題として「子どもの人口減少問題」が深刻になってきていることに、心を痛めています。生き方の多様化、結婚しない若者の増加、結婚して家庭を持ちにくい社会・経済情勢・・・このことについても、次のアドレスを開いてみて頂きたく思っています。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/decrease_of_children/
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/musashi/index.htm
※ 妻が還暦を迎え、還暦祝いをイヤがっていましたが、昨日、息子の誕生日祝いも兼ねて、小宴を開きました。20代半ばの息子も未婚で、「早く結婚して、孫を見せてくれ!」とハッパをかけたら、苦笑していました。息子のいとこも未婚者が何人かいて、心配だという話をしました。日本の未来が、本当に心配です。・・・ということを、小宴でも愚痴りました。
きょう、5月5日は「子どもの日」。この日に寄せて、「ドロシー・ロー・ノルト」というアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩をご紹介します。この詩は、スウェーデンの中学校の社会科の教科書「あなた自身の社会」(アーネ・リンドクウィスト,ヤン・ウェステル著,川上邦夫訳:新評論から出版:155頁)に収載されています。この詩の作者、ドロシー・ロー・ノルト(Dorothy Law Nolte)は、この教科書では、ノルトはホルトとなっています。
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。この憲章については、次のアドレスをクリックしていただければ、と思います。
http://marutin.pekori.to/data/01.html
http://www.ccae-ru.com/index.html
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。この憲章については、次のアドレスをクリックしていただければ、と思います。
http://marutin.pekori.to/data/01.html
http://www.ccae-ru.com/index.html
五月晴れ 夢をがぶりと
昨日は、連休中だというのに、ある町興しのための会議に出席して、聞き出し上手な若い人に対して、例の如く、生意気且つお節介に、人生訓なり時評みたいなものをノタマッちゃいました。実際は、ノタウチまくったわが人生では、とても恥ずかしくて言えないようなことをエラそうに講釈しちゃいました。曰く
★ 男の子の“漂流”の問題
★ 「科学性」と「大衆性」のススメ
★ クールな目と温かい腕と強い足で・・・
★ 反省・努力・感謝
★ 言葉の「行政改革」を・・・
なんちゃって・・・。思いやりのある彼らは、神妙に、聞いてくれました。アリガトウ。
夕方、妻に引かれて、借りている畑詣ででした・・・。畑に居合わせた近所のおじさんと、「好きなことやったら、時間忘れて、やるのになぁ」と、共感を求めつつ、雑草取りをしました。
犬は、午前やや元気、夕方はややバテテイマシタ。そんな一日を振り返って
五月晴れ 夢をガブリと 天も肥ゆ
<やや蛇足> 肥えるのは、秋空だけではナイんですからっ!? 初夏の空も、真夏の空も、真冬だって、空はさまざまに肥えているかも・・・。空が肥えるのは、日本の空だって、中国の空だって、チベットの空だって、イラクの空だって、ソマリアの空だって、一部政治家や一部官僚が私腹を肥やすより、きっと、もっと、イイだろうと、、、、、胸膨らませて、例によって訳の分かりにくい俳句(もどき)を創っちゃいました。
昨日は、連休中だというのに、ある町興しのための会議に出席して、聞き出し上手な若い人に対して、例の如く、生意気且つお節介に、人生訓なり時評みたいなものをノタマッちゃいました。実際は、ノタウチまくったわが人生では、とても恥ずかしくて言えないようなことをエラそうに講釈しちゃいました。曰く
★ 男の子の“漂流”の問題
★ 「科学性」と「大衆性」のススメ
★ クールな目と温かい腕と強い足で・・・
★ 反省・努力・感謝
★ 言葉の「行政改革」を・・・
なんちゃって・・・。思いやりのある彼らは、神妙に、聞いてくれました。アリガトウ。
夕方、妻に引かれて、借りている畑詣ででした・・・。畑に居合わせた近所のおじさんと、「好きなことやったら、時間忘れて、やるのになぁ」と、共感を求めつつ、雑草取りをしました。
犬は、午前やや元気、夕方はややバテテイマシタ。そんな一日を振り返って
五月晴れ 夢をガブリと 天も肥ゆ
<やや蛇足> 肥えるのは、秋空だけではナイんですからっ!? 初夏の空も、真夏の空も、真冬だって、空はさまざまに肥えているかも・・・。空が肥えるのは、日本の空だって、中国の空だって、チベットの空だって、イラクの空だって、ソマリアの空だって、一部政治家や一部官僚が私腹を肥やすより、きっと、もっと、イイだろうと、、、、、胸膨らませて、例によって訳の分かりにくい俳句(もどき)を創っちゃいました。
妙にマジメな所があって、今風に言うと「マジッすか?」とかKYとか呆れられ叱られそうですが、「憲法記念日」に寄せて、少し、理屈と講釈を申しますので、ご寛容におつきあい下さいますようお願いします。
偏狭から普遍へ 自分自身を
解放 していきましょう
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたい・・・
まずクイズをひとつ・・・「この文は、どこに載っている文ですか?」→→→→→賞品はありませんが、答えを言いますと、これは日本国憲法の前文の中の一 部です。この文の中の「偏狭と普遍」について特に申し上げたくて、書きました。
★・・・ 「日本国憲法!? ワーッむつかしい、堅苦しい」と敬遠する人もいます。が、じっくり読めば、国だけでなく、私たちの行動の指針となるような、貴重な考え方(理念)があちらこちらにあって、非常に参考になります。その中でも憲法前文は、私たちの生き方の指針になるようなことが、一杯詰まっています。「“偏狭”を地上から永遠に除去したい」とする考え方も、そのひとつです。
★・・・ 「偏狭」とは「かたよった狭い見方・考え方と、それによって起こされる政治的・社会的な主義主張や運動」と言えるでしょう。
かたよった狭い見方・考え方とは、広く世間で通用しないような、世界で通用しないような、正当な根拠のないジコチュウ(自己中心主義)な考え方です。例えば、ある民族は他の民族よりすぐれているとか、皮膚や目の色で優劣を決めつけたり、男性は女性より上であるべきだ、などという考え方です。「男にする」「男らしい」とか「女らしくしなさい」などという言い方も、この考え方の延長線上にあります。「男らしい、女らしい」ということよりも、まず「人間らしく」だと思うのですが・・・。
偏狭は、合理的な根拠もなく、勝手な思いこみで決めつけたりするのです。これは、大変危険なことで、こうした考え方を国や政治家が持っていきますと、戦争や差別や迫害を国がしていく、ということになりかねません。これまでの戦争もそうしたことを背景に起こされてきましたし、戦後制定された日本国憲法はそうしたことを反省して、日本の国は偏狭を地上から永遠に除去しようと国の内外に誓ったのです。そして、偏狭な考え方を基にして、専制も圧迫もしない、人の人格を無視して奴隷的に服従させたりしない、平和を維持するために努力するということをうたったのです。
★・・・ 偏狭を個人個人の生活にあてはめて考えますと、無茶な理屈で自分の意見を押し通すということになります。不合理な差別意識にとらわれて人を見ていると、結果的にまわりの人を苦しめることもあり、ひいては自分自身の人生を窮屈にします。例えば、結婚にしても、封建的な思想からくる家柄とか社会的地位で相手を選んで、相手への愛情とか優しさとかが後回しになるという“淋しい”人生になりかねません。病気したり、苦しいときに助け合うのは、愛情や優しさであって、家柄は決して“看病”してくれません。
★・・・ 偏狭の反対語は「普遍(ふへん)」です。人間は、誰でも、ともすれば自分に都合のよい自己チューな、かたよった見方をしがちです。時には、自分自身の考え方を反省して、世間や世界で通用する、まわりの人も納得する、理屈の通った(合理的)な見方を身につけていかなければ、自分自身が世間から浮いてしまう、自分だけが気づいていない“裸の王様”ということになりかねません。国も個人も“裸の王様”になって、国際社会で孤立したり、世間や家族からも相手にされなくなったら不幸です。また、最近は環境問題でも、自分の国さえよければ、自分の生活さえよければ、自分の時代さえよければ、という考え方では、地球や人類の壊滅的破滅をもたらす可能性があることが指摘されています。偏狭から普遍へ、かたよった自分自身をも苦しめかねない狭い考え方から、自分自身を“解放”して、広い大地でのびのびと・・・少し真面目に考えてみることも、味のあるゴールデンウイークかなと考えて書きました。ブログの3月1日号にも、形を変えてよく似たことを書いています。自己チューの多い昨今、同じようなことをくどくどと繰り返すお節介親父の弁を、ご寛容にお受け止め下されば有り難いです。
偏狭から普遍へ 自分自身を
解放 していきましょう
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたい・・・
まずクイズをひとつ・・・「この文は、どこに載っている文ですか?」→→→→→賞品はありませんが、答えを言いますと、これは日本国憲法の前文の中の一 部です。この文の中の「偏狭と普遍」について特に申し上げたくて、書きました。
★・・・ 「日本国憲法!? ワーッむつかしい、堅苦しい」と敬遠する人もいます。が、じっくり読めば、国だけでなく、私たちの行動の指針となるような、貴重な考え方(理念)があちらこちらにあって、非常に参考になります。その中でも憲法前文は、私たちの生き方の指針になるようなことが、一杯詰まっています。「“偏狭”を地上から永遠に除去したい」とする考え方も、そのひとつです。
★・・・ 「偏狭」とは「かたよった狭い見方・考え方と、それによって起こされる政治的・社会的な主義主張や運動」と言えるでしょう。
かたよった狭い見方・考え方とは、広く世間で通用しないような、世界で通用しないような、正当な根拠のないジコチュウ(自己中心主義)な考え方です。例えば、ある民族は他の民族よりすぐれているとか、皮膚や目の色で優劣を決めつけたり、男性は女性より上であるべきだ、などという考え方です。「男にする」「男らしい」とか「女らしくしなさい」などという言い方も、この考え方の延長線上にあります。「男らしい、女らしい」ということよりも、まず「人間らしく」だと思うのですが・・・。
偏狭は、合理的な根拠もなく、勝手な思いこみで決めつけたりするのです。これは、大変危険なことで、こうした考え方を国や政治家が持っていきますと、戦争や差別や迫害を国がしていく、ということになりかねません。これまでの戦争もそうしたことを背景に起こされてきましたし、戦後制定された日本国憲法はそうしたことを反省して、日本の国は偏狭を地上から永遠に除去しようと国の内外に誓ったのです。そして、偏狭な考え方を基にして、専制も圧迫もしない、人の人格を無視して奴隷的に服従させたりしない、平和を維持するために努力するということをうたったのです。
★・・・ 偏狭を個人個人の生活にあてはめて考えますと、無茶な理屈で自分の意見を押し通すということになります。不合理な差別意識にとらわれて人を見ていると、結果的にまわりの人を苦しめることもあり、ひいては自分自身の人生を窮屈にします。例えば、結婚にしても、封建的な思想からくる家柄とか社会的地位で相手を選んで、相手への愛情とか優しさとかが後回しになるという“淋しい”人生になりかねません。病気したり、苦しいときに助け合うのは、愛情や優しさであって、家柄は決して“看病”してくれません。
★・・・ 偏狭の反対語は「普遍(ふへん)」です。人間は、誰でも、ともすれば自分に都合のよい自己チューな、かたよった見方をしがちです。時には、自分自身の考え方を反省して、世間や世界で通用する、まわりの人も納得する、理屈の通った(合理的)な見方を身につけていかなければ、自分自身が世間から浮いてしまう、自分だけが気づいていない“裸の王様”ということになりかねません。国も個人も“裸の王様”になって、国際社会で孤立したり、世間や家族からも相手にされなくなったら不幸です。また、最近は環境問題でも、自分の国さえよければ、自分の生活さえよければ、自分の時代さえよければ、という考え方では、地球や人類の壊滅的破滅をもたらす可能性があることが指摘されています。偏狭から普遍へ、かたよった自分自身をも苦しめかねない狭い考え方から、自分自身を“解放”して、広い大地でのびのびと・・・少し真面目に考えてみることも、味のあるゴールデンウイークかなと考えて書きました。ブログの3月1日号にも、形を変えてよく似たことを書いています。自己チューの多い昨今、同じようなことをくどくどと繰り返すお節介親父の弁を、ご寛容にお受け止め下されば有り難いです。
全く、「世間様」と関係のない、私のブログへの思いを綴ってみました。あくまで、私の戯言でひとときの笑いをご提供したく、息抜きとして、苦笑混じりでお受け止め下さいますよう・・・。
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
ブログを始めて 4ヶ月余
手探りで ブログ界に 入り込み
写真を貼り付ける技術もなく
トラックバックがなんたるかも 分かっておらず
ただひたすら 文字を連ねて
絵文字を 滋賀咲くブログに お借りして
少しの愛想 少しの見やすさ目指す
だけど 今は 拓海くんの49日までは
せめてもの 絵文字の封印
文字を 大きく 分かりやすくを モットーに
詩や 俳句もどきで 目先変え
遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
休もう 休むタイミングを窺いながら
ずるずると しまりのない話の羅列
ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
いつまで続く ぬかるみぞ(?)
あわや ブログ中毒ブログ症候群の一歩手前(?)
いつもブログ記者の感覚で
世を見つめ
世のニュースに一喜一憂
そんな私の指定席
滋賀咲くブログの ランキング 200位前後
最高で 80何番まで
ランキングに感激し ランキングにややがっかり
だけど 今は やや居直って
200位圏内に 見え隠れ
それでいい それもありよと 慰めて
読者の寛容に 甘えてしまって
時代遅れの 愚痴 羅列
だけど 愚痴も大事
時代遅れも意味あることと
私の指定席 200番前後
それでも あるだけで 幸せと
世に言いたいことの かずかず 迷惑を顧みず
いつまで続く ぬかるみゾ
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
ブログを始めて 4ヶ月余
手探りで ブログ界に 入り込み
写真を貼り付ける技術もなく
トラックバックがなんたるかも 分かっておらず
ただひたすら 文字を連ねて
絵文字を 滋賀咲くブログに お借りして
少しの愛想 少しの見やすさ目指す
だけど 今は 拓海くんの49日までは
せめてもの 絵文字の封印
文字を 大きく 分かりやすくを モットーに
詩や 俳句もどきで 目先変え
遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
休もう 休むタイミングを窺いながら
ずるずると しまりのない話の羅列
ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
いつまで続く ぬかるみぞ(?)
あわや ブログ中毒ブログ症候群の一歩手前(?)
いつもブログ記者の感覚で
世を見つめ
世のニュースに一喜一憂
そんな私の指定席
滋賀咲くブログの ランキング 200位前後
最高で 80何番まで
ランキングに感激し ランキングにややがっかり
だけど 今は やや居直って
200位圏内に 見え隠れ
それでいい それもありよと 慰めて
読者の寛容に 甘えてしまって
時代遅れの 愚痴 羅列
だけど 愚痴も大事
時代遅れも意味あることと
私の指定席 200番前後
それでも あるだけで 幸せと
世に言いたいことの かずかず 迷惑を顧みず
いつまで続く ぬかるみゾ
昨日は、やや暑いぐらいに絶好の行楽日和でした。と言っても、私は仕事をしていたのですが、また、我が家の老衰の愛犬の介護もあって外出もままなにりくい昨今ですが・・・。昨日は、上野動物園のパンダのリンリンちゃんの訃報が、全国的にニュースとして駆けめぐりました。また、ローカルなニュースとしては、米原市のある池での「イワナに恋したカエル」のことがテレビで報じられていました。それほど、有名ではない、と言うより全く無名の、市井の片隅で、老衰と闘いながら、しかしそれでも立ち上がろうとしている我が家の犬について、ご迷惑でしょうが、久しぶりに情報をお知らせします。
犬 立ち上がる
2週間ほど前のブログで、我が家歴17年の犬のことを、センチメンタルに詩(もどき)に綴りました。その後、インターネットで調べますと、17年の犬は、人間で言えば80歳だそうです。私の実感では、犬の痩せ方や歩きぶりを見ると、もっともっと上だと思うのですが・・・。
我が家の犬は、ちょっと前までは、家の中のフローリングの床に立てず、ベターっと、へたり込んでいましたが、ここ数日、なんとなしに、立ち上がるようになってきたのです。食欲は旺盛で、ドッグフードはよく食べます。少しイヤらしいやり方ですが、屋外で、人間がドッグフードの袋を持って、犬を誘導しますと、犬は、よろよろしながら歩いてきます。暖かくなって、一種のリハビリです。ただ少し歩くと、はぁはぁ言います。気温の高い屋外は苦手なようで、はぁはぁ言って、家の中に入りたがります。今は、ほとんど屋内生活犬です。
水は、おいしそうに、ピチャピチャと舐めるように飲みます。生命力というか、その気力には、驚かされるというよりは勇気を与えられます。鼻は、いつもしめっていて、何かの病気に苦しんでいる、という風でもないのです。妻は、病院へ連れて行ったら痛い思いをして可哀想だから、連れて行かない、と言います。人間様の保険料も上がるご時勢、我が家のお犬様は、病気そうでもないので、病院へ連れて行けません。毎日、ビミョーな変化に一喜一憂しています。頭をなでたら、もっともっと、とせがみます。寝ている風な時も、尻尾だけは振ってくれます。あまり寝ていて動かないと、心臓は動いているのかな、と心配したり、立ち上がり歩こうとする姿に励まされたりしています。犬は、毛の色は茶と少しの黒でこれは変わらないのですが、中肉中背・精悍の面影はなくなってきて、痩せこけてはきていますが、それでも立ち上がろうとしています。 ~~以上、ご迷惑顧みず、我が家の愛犬情報でした。~~
※ 上野動物園のリンリンちゃんに、謹んで、哀悼の意を表します。天国でも、笹の葉をいっぱい食べてください。リンリンちゃんのことについては、下のアドレスをクリックしてみてください。
http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=ueno&link_num=9050
それから、一週間ほどイワナの背中にべた~とついていた、イワナに恋したカエルは、イワナと一緒に死んでいたのを発見されて、一緒に葬られるそうです。イワナとかえるのご両人(?)にも哀悼の意を表します。ご両人のことについては、下のアドレスをクリックしてください。
http://www.nhk.or.jp/otsu/lnews/05.html
※ この記事は、本日の朝に更新されて、別の記事になってしまいました。すみません。
犬 立ち上がる
2週間ほど前のブログで、我が家歴17年の犬のことを、センチメンタルに詩(もどき)に綴りました。その後、インターネットで調べますと、17年の犬は、人間で言えば80歳だそうです。私の実感では、犬の痩せ方や歩きぶりを見ると、もっともっと上だと思うのですが・・・。
我が家の犬は、ちょっと前までは、家の中のフローリングの床に立てず、ベターっと、へたり込んでいましたが、ここ数日、なんとなしに、立ち上がるようになってきたのです。食欲は旺盛で、ドッグフードはよく食べます。少しイヤらしいやり方ですが、屋外で、人間がドッグフードの袋を持って、犬を誘導しますと、犬は、よろよろしながら歩いてきます。暖かくなって、一種のリハビリです。ただ少し歩くと、はぁはぁ言います。気温の高い屋外は苦手なようで、はぁはぁ言って、家の中に入りたがります。今は、ほとんど屋内生活犬です。
水は、おいしそうに、ピチャピチャと舐めるように飲みます。生命力というか、その気力には、驚かされるというよりは勇気を与えられます。鼻は、いつもしめっていて、何かの病気に苦しんでいる、という風でもないのです。妻は、病院へ連れて行ったら痛い思いをして可哀想だから、連れて行かない、と言います。人間様の保険料も上がるご時勢、我が家のお犬様は、病気そうでもないので、病院へ連れて行けません。毎日、ビミョーな変化に一喜一憂しています。頭をなでたら、もっともっと、とせがみます。寝ている風な時も、尻尾だけは振ってくれます。あまり寝ていて動かないと、心臓は動いているのかな、と心配したり、立ち上がり歩こうとする姿に励まされたりしています。犬は、毛の色は茶と少しの黒でこれは変わらないのですが、中肉中背・精悍の面影はなくなってきて、痩せこけてはきていますが、それでも立ち上がろうとしています。 ~~以上、ご迷惑顧みず、我が家の愛犬情報でした。~~
※ 上野動物園のリンリンちゃんに、謹んで、哀悼の意を表します。天国でも、笹の葉をいっぱい食べてください。リンリンちゃんのことについては、下のアドレスをクリックしてみてください。
http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=ueno&link_num=9050
それから、一週間ほどイワナの背中にべた~とついていた、イワナに恋したカエルは、イワナと一緒に死んでいたのを発見されて、一緒に葬られるそうです。イワナとかえるのご両人(?)にも哀悼の意を表します。ご両人のことについては、下のアドレスをクリックしてください。
http://www.nhk.or.jp/otsu/lnews/05.html
※ この記事は、本日の朝に更新されて、別の記事になってしまいました。すみません。
どうか「人間宣言」を
テレビで、昭和天皇のこと そしてその時代を
多くの著名人が 語っていた
国 世界 戦争 人間そして人生
時代に翻弄され 昭和を生きた人間に
さまざまな思いが去来する
そして昭和天皇
この人も 時代に翻弄された人
他の人たちより 圧倒的に
自分自身を 生きられなかったことだろう
現人神と崇められ
一方で 人の子としての幸せはどうだったのか
幸せは 余人には測りきれないことだけど
誰もが味わいうる喜びと幸せはどうだったのか
崇められ 奉られ
誰もが味わいうる喜びと幸せを
余人の思惑で 曲げられなかったか・・・
戦後 天皇の「人間宣言」
人間であること
当たり前の幸せを 当たり前のように
時には 愚痴混じりで 涙ぐんで
酒をしこたま飲んで 友と語らい
家族に八つ当たりなんかもして
そんな当たり前のようなことを
味あわせてあげたかった 人 そして人生
天皇と それを見詰める私たち
それぞれにそれぞれに
心の外でも そして心の中でも
どうかどうか「人間宣言」を
テレビで、昭和天皇のこと そしてその時代を
多くの著名人が 語っていた
国 世界 戦争 人間そして人生
時代に翻弄され 昭和を生きた人間に
さまざまな思いが去来する
そして昭和天皇
この人も 時代に翻弄された人
他の人たちより 圧倒的に
自分自身を 生きられなかったことだろう
現人神と崇められ
一方で 人の子としての幸せはどうだったのか
幸せは 余人には測りきれないことだけど
誰もが味わいうる喜びと幸せはどうだったのか
崇められ 奉られ
誰もが味わいうる喜びと幸せを
余人の思惑で 曲げられなかったか・・・
戦後 天皇の「人間宣言」
人間であること
当たり前の幸せを 当たり前のように
時には 愚痴混じりで 涙ぐんで
酒をしこたま飲んで 友と語らい
家族に八つ当たりなんかもして
そんな当たり前のようなことを
味あわせてあげたかった 人 そして人生
天皇と それを見詰める私たち
それぞれにそれぞれに
心の外でも そして心の中でも
どうかどうか「人間宣言」を
「民意」って 「民主主義」って何?
最近の日本の政治を見ると、「民意とは何だっ?」「民主主義とは何だっ」ということを言いたくなることが、数多くある。
山口2区衆議院補欠選挙の結果の受け止め方を見ても、政府・与党の有力者筋かから聞こえてくる同補選の結果は、必ずしも「民意」の現れでないというと言う。
「民意」とは、何だっ? 国の政治の方向を決める「国のご主人様(主権者)である国民の意思」ということであろうが、その意思は、何によって判定するのだろうか?
メディアの実施する「世論調査結果」、請願のための「署名者数」、新聞等への投稿等さまざまあろうが、主権者である国民(日本の場合、成年有権者)が平等な一票行使によって行う「選挙」による結果が、最も、公的にも“納得”できるものではないだろうか?
政治は、一部の政治家や組織のためにだけあるのではない。「国民の幸福」実現から“逆算”して、どういう政治家・政党・組織に政権を担ってもらうのがよいのか、という観点から、政治が為されるべきではなかろうかと、思う。
今の政権与党を見ていると、先々代の小泉さんが選挙で獲得した議席数を、あとの世代が、しがみついて食いつないでいるみたいだ。
政治に、先見性がなければ、国や社会は混迷する。社会に閉塞感が広がって、生き方に展望を失ったり、利己主義がはびこって、おぞましい事件や事故や、絶望からの自死行為が増えてくる。今の日本は、本当に、暗いニュースが多い。
みんなで苦しさを分かち合い、子どもたちに明るい未来を少しでも提供できる社会や国を造っていくために、指導的立場にある政治家は、どうか「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点を、いつも、忘れずに大切にして欲しい。政治を志した初心は、手練手管の老獪さで言いくるめるこtなんてことは、なかったはずだ。今なら、まだ脈もある。「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点をもう一度、見詰めて欲しい。
最後に、アメリカ合衆国第16代大統領のリンカーンの言葉と、その影響を受けたと思われる日本国憲法の前文の一部を、載せさせていただきます。
★ リンカーン
「人民の人民による人民のための政治」
原語の“government of the people, by the people, for the people”は「人民から構成する、人民による、人民のための行政」という意味だそうです。
★ 日本国憲法でもその前文に
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
「お釈迦様に説法」ですが、皆様、政治に関心をもって、よく見ていきましょう。そうでないと、日本もどこかのような「専制政治」の国にならないとも限りません。しかも「議会制民主政治」のスマートな装いをした政治の下での、実態は「専制政治」に・・・。
最近の日本の政治を見ると、「民意とは何だっ?」「民主主義とは何だっ」ということを言いたくなることが、数多くある。
山口2区衆議院補欠選挙の結果の受け止め方を見ても、政府・与党の有力者筋かから聞こえてくる同補選の結果は、必ずしも「民意」の現れでないというと言う。
「民意」とは、何だっ? 国の政治の方向を決める「国のご主人様(主権者)である国民の意思」ということであろうが、その意思は、何によって判定するのだろうか?
メディアの実施する「世論調査結果」、請願のための「署名者数」、新聞等への投稿等さまざまあろうが、主権者である国民(日本の場合、成年有権者)が平等な一票行使によって行う「選挙」による結果が、最も、公的にも“納得”できるものではないだろうか?
政治は、一部の政治家や組織のためにだけあるのではない。「国民の幸福」実現から“逆算”して、どういう政治家・政党・組織に政権を担ってもらうのがよいのか、という観点から、政治が為されるべきではなかろうかと、思う。
今の政権与党を見ていると、先々代の小泉さんが選挙で獲得した議席数を、あとの世代が、しがみついて食いつないでいるみたいだ。
政治に、先見性がなければ、国や社会は混迷する。社会に閉塞感が広がって、生き方に展望を失ったり、利己主義がはびこって、おぞましい事件や事故や、絶望からの自死行為が増えてくる。今の日本は、本当に、暗いニュースが多い。
みんなで苦しさを分かち合い、子どもたちに明るい未来を少しでも提供できる社会や国を造っていくために、指導的立場にある政治家は、どうか「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点を、いつも、忘れずに大切にして欲しい。政治を志した初心は、手練手管の老獪さで言いくるめるこtなんてことは、なかったはずだ。今なら、まだ脈もある。「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点をもう一度、見詰めて欲しい。
最後に、アメリカ合衆国第16代大統領のリンカーンの言葉と、その影響を受けたと思われる日本国憲法の前文の一部を、載せさせていただきます。
★ リンカーン
「人民の人民による人民のための政治」
原語の“government of the people, by the people, for the people”は「人民から構成する、人民による、人民のための行政」という意味だそうです。
★ 日本国憲法でもその前文に
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
「お釈迦様に説法」ですが、皆様、政治に関心をもって、よく見ていきましょう。そうでないと、日本もどこかのような「専制政治」の国にならないとも限りません。しかも「議会制民主政治」のスマートな装いをした政治の下での、実態は「専制政治」に・・・。
文章か詩かどういう表現の仕方が思いを伝えられるのか、何を語っても不謹慎、軽薄と捉えられるかも知れない、だから黙っている方がいいのか悩みました。ですが、今、「人の命」があまりに軽く扱われている国や世界の現実を少しでも改善できる一石になればと書きました。まだまだ思いを尽くせない、私の思慮の浅さを謝しつつ、お読みになるお一人おひとり様がお受け止め下さいますようお願いして、お送りします。
短慮 人の命 無限の苦しみ
それでも人間に手を差し伸べよう
光市母子殺害事件とその裁判
さまざまな報道がされ、
意見が交わされている
辛い 悲しい そして哀しい
言葉で尽くせない
被害者お二人の人生と命の重さ
被害者遺族今32歳になった本村洋さんの
9年の苦しみの葛藤
余人の誰もが計り知れない悲しみと衝撃
思慮深い言葉の一つひとつが胸を打つ
「笑ってもいけない」「息抜きもしてはいけない」
自責の念が 彼を襲い
憎しみ、怒り、そして犯人への殺意まで
しかし そうした中でも
「自分一人では生きていけない」
人への感謝の思い
「犯罪被害者遺族基本法」の制定に
国を動かした
そして今 被告の元少年への思い
被告をきちんと報道する
メディアの出現の期待まで
記者会見で語り
同種事件の再発防止のために
社会として 事件から学ぶ重要性を
語られる
9年前までは 街にいるごく普通の青年を変えた事件
その犯人とされる 元少年 今は27歳
出会うはずのなかった
被害者お二人と
遺族の青年と
被告の元少年
の 哀しすぎる現実の出会い
「妻と娘アルバムの続くことのない最後のページ」
への悲しみを語る本村さん
時計の針を 9年前よりもっと前に戻せるなら
そこには 笑いも 喜びも 小さな幸せ
もいっぱい あったことだろう
一瞬の短慮が それを打ち砕いた
被告の元少年はどうか 心を自分で語り
次なる 最高裁は
被告の改悛の情と更生の可能性を
審理尽くして欲しい
もし
私が近く導入される「裁判員制度」の裁判員なら
誰もが 「裁判員制度」の裁判員なら
どう審理して どう判断する?
我が身に置いて 我が人生と命に照らして
どう審理して どう判断する?
事件から学ぶこと
死刑制度の是非 終身刑 刑罰のもつ意味
元少年の生い立ちや環境
短慮に走る人を出さない子育てや教育のありかた
家庭や学校や社会のあり方
国も 私たち個人も 学んで考えて話し合って
人間に手を差し伸べよう
被害者も 遺族も 加害者も そして私たち誰もが
幼くして人生を断ち切られた夕夏ちゃんと
同じ笑いを持っていた。
同じ人間 同じことで喜び悲しむ人間同士
人間が愛おしい
一瞬の短慮が 命を奪い 人生を消していく
命 人生 命 人生
事件は 家庭に 学校に 社会に 国に
そして一人ひとりに
無限のことを 投げかける
短慮 人の命 無限の苦しみ
それでも人間に手を差し伸べよう
光市母子殺害事件とその裁判
さまざまな報道がされ、
意見が交わされている
辛い 悲しい そして哀しい
言葉で尽くせない
被害者お二人の人生と命の重さ
被害者遺族今32歳になった本村洋さんの
9年の苦しみの葛藤
余人の誰もが計り知れない悲しみと衝撃
思慮深い言葉の一つひとつが胸を打つ
「笑ってもいけない」「息抜きもしてはいけない」
自責の念が 彼を襲い
憎しみ、怒り、そして犯人への殺意まで
しかし そうした中でも
「自分一人では生きていけない」
人への感謝の思い
「犯罪被害者遺族基本法」の制定に
国を動かした
そして今 被告の元少年への思い
被告をきちんと報道する
メディアの出現の期待まで
記者会見で語り
同種事件の再発防止のために
社会として 事件から学ぶ重要性を
語られる
9年前までは 街にいるごく普通の青年を変えた事件
その犯人とされる 元少年 今は27歳
出会うはずのなかった
被害者お二人と
遺族の青年と
被告の元少年
の 哀しすぎる現実の出会い
「妻と娘アルバムの続くことのない最後のページ」
への悲しみを語る本村さん
時計の針を 9年前よりもっと前に戻せるなら
そこには 笑いも 喜びも 小さな幸せ
もいっぱい あったことだろう
一瞬の短慮が それを打ち砕いた
被告の元少年はどうか 心を自分で語り
次なる 最高裁は
被告の改悛の情と更生の可能性を
審理尽くして欲しい
もし
私が近く導入される「裁判員制度」の裁判員なら
誰もが 「裁判員制度」の裁判員なら
どう審理して どう判断する?
我が身に置いて 我が人生と命に照らして
どう審理して どう判断する?
事件から学ぶこと
死刑制度の是非 終身刑 刑罰のもつ意味
元少年の生い立ちや環境
短慮に走る人を出さない子育てや教育のありかた
家庭や学校や社会のあり方
国も 私たち個人も 学んで考えて話し合って
人間に手を差し伸べよう
被害者も 遺族も 加害者も そして私たち誰もが
幼くして人生を断ち切られた夕夏ちゃんと
同じ笑いを持っていた。
同じ人間 同じことで喜び悲しむ人間同士
人間が愛おしい
一瞬の短慮が 命を奪い 人生を消していく
命 人生 命 人生
事件は 家庭に 学校に 社会に 国に
そして一人ひとりに
無限のことを 投げかける
昨日、記事をUPしてから、後悔と自己嫌悪。お前は、人様に披露するほど、子育てに実績と実力があるのか!! 、と・・・。ですが、何かのお役に立てればと、思っている次第です。乗りかかった舟に乗った手前、昨日に言い足りなかったことを、若干、補足させていただきます。
ちょっとだけ背伸び
まず褒めて育てましょう
Q 昨日の記事で、《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。》と書いてるけど、何をどの程度やったら、「やらせ切った」ことになるねん?
A 私が考えますのに、あまり高すぎる目標を掲げて、尻をたたいてやらせても、無理があります。その子の力をよく見て、その子がやや背伸びしたらできる程度のことに挑戦させて、それができたら、思いっきり褒めてはどうでしょう。
それに、よしんばできなくても、ちょっとの変化、ちょっとの向上に注目して、努力をしたとか頑張ったとか、むしろ褒める材料を探してでも、褒めてはどうでしょう。
褒めることは、その子なり、人への「先行投資」と考えております。十分褒めてから、「そやけど、こうしてやるのもイイのと違う!?」と、若干のアドバイスをするのもイイと思います。
相手の無力をなじるようなような言い方は、その子のやる気や伸びようとする芽をつむ危険性があります。いつか、この子は、やれる力をつけられる、今は、そのための「助走期間」「練習期間」と考えれば、失敗も中途半端も、将来への布石です。長い目で見て、温かく褒めて、ちょっとだけアカンところを指摘しても、基本は褒めることと感激感謝で・・・決してこの子の芽をつむ「専制君主」となりませぬよう・・・。重ね重ねの生意気、ご寛容のほどをお願い申し上げます。
※ 上の話とは無関係な話です。書くのよそうか、無視しようかと思ったのですが、あまりに壮大な血税が使われて行われたイベントが昨朝テレビ画面を占めていました。悲しい光景。この血税があれば、困っている人が少しでも救われるのに、と思いつつテレビを観ていました。そこで一句。
生活に 無縁茶番の 火の始末
ちょっとだけ背伸び
まず褒めて育てましょう
Q 昨日の記事で、《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。》と書いてるけど、何をどの程度やったら、「やらせ切った」ことになるねん?
A 私が考えますのに、あまり高すぎる目標を掲げて、尻をたたいてやらせても、無理があります。その子の力をよく見て、その子がやや背伸びしたらできる程度のことに挑戦させて、それができたら、思いっきり褒めてはどうでしょう。
それに、よしんばできなくても、ちょっとの変化、ちょっとの向上に注目して、努力をしたとか頑張ったとか、むしろ褒める材料を探してでも、褒めてはどうでしょう。
褒めることは、その子なり、人への「先行投資」と考えております。十分褒めてから、「そやけど、こうしてやるのもイイのと違う!?」と、若干のアドバイスをするのもイイと思います。
相手の無力をなじるようなような言い方は、その子のやる気や伸びようとする芽をつむ危険性があります。いつか、この子は、やれる力をつけられる、今は、そのための「助走期間」「練習期間」と考えれば、失敗も中途半端も、将来への布石です。長い目で見て、温かく褒めて、ちょっとだけアカンところを指摘しても、基本は褒めることと感激感謝で・・・決してこの子の芽をつむ「専制君主」となりませぬよう・・・。重ね重ねの生意気、ご寛容のほどをお願い申し上げます。
※ 上の話とは無関係な話です。書くのよそうか、無視しようかと思ったのですが、あまりに壮大な血税が使われて行われたイベントが昨朝テレビ画面を占めていました。悲しい光景。この血税があれば、困っている人が少しでも救われるのに、と思いつつテレビを観ていました。そこで一句。
生活に 無縁茶番の 火の始末


